昭和42年政府の米減反政策が発表されて以来、農業は大きな転換期を迎えることになる。その影には、日本企業の自動車や家電製品等外国輸出と大きく重なっている。企業の発展には労働者の確保が必須条件でその労働力を農漁業者に求めた。一次産業は、神代の昔から政争の具にされて、厳しい生活を余儀なくされてきたので、特に、農村の2、3男や条件の悪いところに戦後開拓で入植した人たちは次から次へと農村を去って行った。
また、経済の発展に合わせるように地方にも道路の整備や公共施設、住宅の新築など土建業が隆盛。その人材も、農業者から賄う事になり益々過疎化に拍車をかけることになった。
一方、残った農業者は今まで当てにしていた子ども達が家を出たり、我が子だけには厳しい農業を継がせないと他産業に就職させたり、更には、出生数の減少、離農地の買収など農業も大きく変化し機械化経営が始まった。その頃から、輸出中心の経済発展が主体となり、見返りの農畜産物輸入急増に危機感を抱いた生産者。自分で栽培飼育したものは自分で加工し販売したいと試みるが、自動車や家電産業と歩調を合わせる政治家、官公庁は、簡単にその事を認めようとしなかった。
小生もこのことに気付き生徒達と新しい分野の開発に挑戦した。即ち、生産だけから脱皮して儲かる農業を模索したのである。しかし、農業高校でも国の方針に逆らうことが出来ず校長や教育委員会に掛け合って何とか施設の充実と研究費の確保を願い出たが文科省の指導ということで、なかなか加工等付加価値を高める為の施設が実現しなかった。「捨てる神あれば拾う神あり」北海道には市町村立の農業高校が数十校あり、「国や道がダメなら、地元の人達が応援してくれるのでは?」と関係機関団体や商工会に足を運んだ。危機感を抱いていたのは我々や生徒だけでは無かった。口には出さなかったが、みんな何かを考えていたのである(詳細は後日述べることにする)。
生産の為にどんどん開発、普及される機械化。省力化されて化学肥料や農薬栽培が主流となり規格化された農畜産物が店頭に並ぶようになる。また、消費者もそんな商品を要求するようになった。かくて日本の経済成長率はアメリカに次ぐ世界第2位となり、物質的には豊かな社会となった。
しかし、そんな偽物の景気は長続きすることは無く、平成の到来に合わせるように泡となって崩壊し現在を迎えている。バブル期を迎えてようやく気がついた日本。このまま、沈んではいられない。今こそ必要な人材を養成して立ち上がらなければ明日の安全・安心な食や農業は無い。いや、農業だけでなく日本の存続が危ないと感じている。
■長谷川 豊(はせがわ ゆたか) 昭和16年、北海道当麻町生まれ。酪農学園大学卒。39年、北海道高等学校教員に採用。剣淵高等学校長、標茶高等学校長、岩見沢農業高等学校長などを歴任、平成14年4月から酪農学園大学教授。現在、同学教職センター教授。
NPO法人農業塾風のがっこう専務理事、農業生産法人有限会社エイチアンドケイ代表取締役を兼務。専門領域は、農業人を育てる、食・農教育、インターンシップ、野菜、花卉栽培など。
主な役職は、NPO法人あぐりびれっじ理事、NPO法人日本青年海外派遣センター顧問、日本ボランティア学習協会常任理事、北海道社会福祉協議会福祉教育専門委員。
NPO法人 農業塾風のがっこう
http://www.kaze-school.com/


