5月23日、私はフリーランス・ライターの吉田由紀子、北京留学中の大学生・田中奈美とバグダッド市内の貧民街「サダム・シティー」に向かった。
独裁者として君臨したサダム・フセインが、国民にとってどのような存在であったかは、この「サダム・シティー」に住む人々からも教わった。
写真・フセインの肖像の多くは、このように跡形もない
バグダッド北東部に位置するサダム・シティーは、イスラム教シーア派の低所得者層が住むスラム街である。この街はフセイン政権崩壊直後に「サダム」の名を嫌い、呼び名を「サドル・シティー」に変えた。名前の由来は、アル・サドル。シーア派の最高位の指導者として民衆から尊敬されたムハマド・アル・サドルは、1999年に暗殺されたものの、政治家を目指す息子のサイード・アル・サドルが新たな指導者として期待されているのだ。
我々は現地のガイドからサダム・シティーに行くことを固く禁じられていた。理由は簡単、略奪や発砲の可能性があるためだ。タクシーの運転手に尋ねても「サダムシティーはベリーデンジャラス」との返答だった。
ところが、我々を病院に案内しくれた運転手は「夜でなければ大丈夫」と、貧民街への冒険を承諾してくれた。
いずれにしても、現地に行かなければ、危険の度合いは分からない。スラム街が近づくにつれ、危険な空気が漂いはじめる気もしないではなかったが、女性陣からもさして気にする素振りは見受けられなかった。
サダム・シティーに到着、車を降りて露店に行くと、あたかもハエがたかるかのようにたくさんの子どもたちが我々に付きまとってきた。「ミスター、ミスター」と握手を求める子ども、私に「ジャッキー・チェン?」とカンフーを挑んでくる少年、「マネー、マネー」と金を無心する少年、さらには金をせびる少年を追い払ってくれようとする青年まで千差万別だったが、ともかく日本人が珍しいらしく、我々の周辺は瞬く間に黒山の人だかりとなった。
写真・我々日本人の姿を見るや、子どもばかりか大人も集まってきた
露店は現地の果物や野菜を売る"八百屋"から安価な玩具を売るテントまでさまざまだが、我々が歩き出すたびに黒山も移動する。芸能人か、英雄でもあるかのような扱いである。
トマトを買いながら少年に話しを聞くと、「サダムはとにかく最悪。米兵は我々をサダムから守ってくれた」ときっぱり。「サダム」と言うと殴る真似をする少年もいた。
露店を一通り歩き回り、再びタクシーに戻ると、すぐさま「事件」が起こった。我々のタクシーを横から追い抜こうとしたオートバイが急にスピードダウン、並走しはじめたのである。オートバイの後ろに乗った男は、私のカメラに気付き「ピクチャー、ピクチャー」とせがんだ。写す準備をした途端、アルゼンチン代表チームのユニフォームを身にまとったその男は、腹から旧ソ連製で世界の紛争地帯で活躍するカラシニコフとおぼしき自動小銃を取り出した。
しかし不思議なことに発砲されるという恐怖感はなかった。結局のところ、男は単に銃を見せたかっただけらしく、再び腹に銃を収めて消えた。
サダム・シティーは日が暮れると銃撃や略奪が頻発するという。しかし、日々を必死に生きようとする昼間の少年たちの目は、日本の子どもたちよりも逞しそうに見えた。以下、次回。敬称略。(文、写真・東)
写真・撮影は失敗したが、この男がカラシニコフの所持者(腹部の盛り上がりに注目)
写真・露店で果物を売る少年
写真・商店街には韓国製テレビが山積みされるようになった

