2006年4月アーカイブ

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第3章 1941年に生まれた金日成の子供

北野営に創設された「第88特別旅団」

 

北野営に創設された第88特別旅団の隊員たち

北野営に創設された第88特別旅団の隊員たち。1943年10月5日、北野営(A野営)での野外演習後に撮影された第88特別旅団(東北抗日聯軍教導旅団)の隊員たち。前列左から、副旅団長パターリン(巴大林)少佐、政治委員の李兆麟少佐、旅団長夫人で政治指導員の王一知、旅団長の周保中中佐、第1大隊長の金日成大尉、副旅団長のシャルマチェンコ(什林斯基)少佐。第2列は左端を除いて、張光迪(役職階級不明)、諜報部長の馮仲雲大尉、第2大隊長の王效明大尉、第2大隊長の王明貴大尉(許亨植の後任)、彭施魯(役職階級不明)。第3排左から、楊清海、徐哲、姜信泰、金光侠、隋長青。第4列左から、安吉、朴徳山、崔勇進、陶雨峰、金京石

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第3章 1941年に生まれた金日成の子供

金日成が率いる第1支隊の満洲越境出撃

 

金日成の上司だった周保中(写真左)と魏拯民(右)

金日成の上司だった周保中(写真左)と魏拯民(右)。第2路軍総司令だった周保中(1917-1964年)は入ソ後に新たな編成された「東北抗日連軍総司令部」の総司令となり、金日成の上司となった。また、第1路軍において金日成の直属の上司で、満洲で病床にあった南満省委書兼副総司令の魏拯民(1909-1941年)は、不在にもかかわらず「東北抗日連軍総司令部」の政治委員に任命された。周保中は金日成が率いる第1支隊を魏拯民救出のために、1941年4月9日、満洲に潜入させた

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第3章 1941年に生まれた金日成の子供

南野営で撮影された記念写真(その2)

 

金日成が「結婚記念写真」という南野営でのツーショット

金日成が「結婚記念写真」という南野営でのツーショット。「この写真は南キャンプにいたころ撮ったものです。ここをBキャンプとも呼んでいました。そこで一冬を過ごしてから、わたしは再び満州と国内に進出して小部隊活動をくりひろげました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版160頁)と金日成は書いている。この写真プリントの裏(右の写真)には「他郷で春を迎え、1941・3・1 B野営にて」とハングルで書かれてあり、撮影地点と日付が確認できる唯一の写真で、珍しく修正された形跡もない。しかし、ジンチャク(人工着色)されたカラー版が存在する。この時点では金日成はまだ赤軍大尉ではなく、ソ連軍の襟章は付けていない

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第3章 1941年に生まれた金日成の子供

南野営での記念写真(その1)

 

南野営で戦友たちと撮影した記念写真の改竄の経過

南野営で戦友たちと撮影した記念写真の改竄の経過。左上は1975年に発行された『白頭山』47頁に掲載されたもので、左端の人物の首や姿勢などが不自然であり、偽造されたものであることは一目瞭然である。オリジナル(徐大粛著『金日成』52頁に掲載)は下の4人組の写真で、左から金日成、季青、崔賢、安吉である。オリジナルから季青を消し、左端の金日成を直立させたせのが、右上の写真である(李基奉著『金日成は中国人だった』236頁)。しかし、「首領さま」は中央に大きく置くべきだとして、右端の安吉を反転させて縮小し、左側に立たせた改竄写真(左上)が、平壌の朝鮮革命博物館に堂々と展示されている

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第3章 1941年に生まれた金日成の子供

蛤蟆塘(ハマタン)にあった南野営

 

入ソした女性隊員たちの学習風景

入ソした女性隊員たちの学習風景。金日成研究で知られる東京大学の和田春樹教授が書いた『金日成と満州抗日戦争』によると、ソ連に脱出した朝鮮人抗日パルチザンは133人で、うち女性は27人としている。教育を受ける機会がなかった朝鮮人隊員の識字率は2割足らずだったといわれ、入ソした女性隊員たちはソ連軍兵舎で学習に励み、無線の訓練を受けていたという。金貞淑の伝記『白あんずの花のように』によれば、左から3人目が金貞淑という説明があるが、『朝鮮の母、金正淑』にはそのような説明はなく、金貞淑は写っていないと思われる

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第3章 1941年に生まれた金日成の子供

金日成夫婦に長女がいたという証言

 

野副討伐隊の戦果と間島省を紹介するイラスト

野副討伐隊の戦果と間島省を紹介するイラスト。1941年3月19日、野副討伐隊は金日成を含む第1路軍の主力はソ連に逃亡したとして、討伐隊を解散した。作戦完了後に作成しされた『吉林・通化・間島3省治安粛正工作記念写真帳』には、討伐隊がパルチザン幹部を射殺、逮捕した日付や位置を示すカラーイラストが付いている。戦果とともに間島省の地理案内を兼ねた鳥瞰図ふうのイラストは、現代でも通用するデザイン感覚である

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第3章 1941年に生まれた金日成の子供

新婚夫婦はいつ入ソしたのか(その4)

 

逮捕された女性隊員によるデモンストレーション

逮捕された女性隊員によるデモンストレーション。野副討伐隊が作成した『3省治安粛正工作記念写真帳』のなかには、「反満抗日失地回復を絶叫して我らに向けし銃先、今180度回転させて、なお迷夢の醒めぬ元の同志を照準する昨日の敵--今日の友、東北抗日第1路軍女子軍の一部」という説明があり、スカート姿に制帽の元パルチザンの女性隊員が、討伐隊に鹵獲された武器の操作をデモンストレーションしている珍しいショットである

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第3章 1941年に生まれた金日成の子供

新婚夫婦はいつ入ソしたのか(その3)

 

『中国抗日戦争図誌』479頁に掲載されている「綏芬河地区で活躍する抗日連軍の一部」の写真

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第3章 1941年に生まれた金日成の子供

新婚夫婦はいつ入ソしたのか(その2)

 

若き日の金日成の軍服姿の修正写真の変遷

若き日の金日成の軍服姿の修正写真の変遷。左の写真は1998年出版の金日成回顧録『世紀とともに』第8巻、中央の写真は1975年出版の『不滅の革命伝統』に掲載されている。抗日パルチザン闘争史が捏造される以前の1961年、朝鮮科学院歴史研究所が発行した『朝鮮近代革命運動史』(日本語版423頁)には、オリジナル(右の写真)がある。顔の輪郭や服装などを整え金日成を好男子に修正するのが北朝鮮の常道であるが、中央よりは左のほうが修正技術が向上している。オリジナル写真は、1940年代前半に金日成がソ連極東軍第88特別旅団の第1大隊長(赤軍大尉)だった30歳頃と推定されるが、修正写真は襟章を削除し、赤軍将校だった事実を隠蔽している点を見逃してはならない

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第3章 1941年に生まれた金日成の子供

新婚夫婦はいつ入ソしたのか(その1)

 

金日成と金貞淑のツーショットの修正写真

金日成と金貞淑のツーショットの修正写真。ソ連に脱出した直後の金日成と金貞淑のツーショットは、3点あることが知られている。歴史を偽造する北朝鮮においては、どんな写真も修正されていることは常識で、オリジナル写真を探すのが大変である。上の写真はオリジナルと思われるが、金日成を面長に修正した下の写真は金日成回顧録『世紀とともに』第8巻に掲載されている。北朝鮮では上のオリジナルのほうが自然で、人間的という感性はないようである

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