第1部 金正日の出生の秘密を暴く
第3章 1941年に生まれた金日成の子供
南野営での記念写真(その1)
南野営で戦友たちと撮影した記念写真の改竄の経過。左上は1975年に発行された『白頭山』47頁に掲載されたもので、左端の人物の首や姿勢などが不自然であり、偽造されたものであることは一目瞭然である。オリジナル(徐大粛著『金日成』52頁に掲載)は下の4人組の写真で、左から金日成、季青、崔賢、安吉である。オリジナルから季青を消し、左端の金日成を直立させたせのが、右上の写真である(李基奉著『金日成は中国人だった』236頁)。しかし、「首領さま」は中央に大きく置くべきだとして、右端の安吉を反転させて縮小し、左側に立たせた改竄写真(左上)が、平壌の朝鮮革命博物館に堂々と展示されている
ハバロフスク会議において、中共東北抗日連軍の第1、第2、第3路軍は統合され、新たな「東北抗日連軍総司令部」が組織され、第2路軍総司令の周保中が新たな総司令となった。そして、副総司令は第3路軍総司令の李兆麟、政治委員は満洲で病床にあって不在の南満省委書兼第1路軍副総司令の魏拯民が任命された。
会議を終えた周保中総司令は金日成らを連れて、1941年2月25日の正午、列車でハバロフスクを発ち、翌日午後9時40分、ヴォロシロフに到着し、そこに3日間滞在した。そして、3月1日午前3時にヴォロシロフを汽車で出発した後、2時間半ほどで南野営に到着し、部隊整列の歓迎を受けた (『東北抗日遊撃日記』573-574頁)。
「わたしはハバロフスク会議が終わってから南キャンプに行きました。一足先に来ていた〔第3方面軍第13連隊長の〕崔賢が、遠くまで出てきてわたしと同行の戦友たちを迎えてくれました。毛皮のオーバーに毛皮の帽子のわたしをきょとんと見つめていた彼が、どこのジェントルマンかと思ったら金将軍ではないか、と大笑いしたことが思い出されます。彼があまり強く抱き締めたので、息がつまる思いをしました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版160頁)
南野営で金日成を出迎えた崔賢が「金将軍」と呼んだという記述は、あり得ない話であるが、それはともかく、金貞淑が金日成とともに琿春縣から、あるいは金日成と別れて東寧縣(王八☆子)から入ソしていたとしても、1941年1月中旬以後に蛤蟆塘(ハマタン)にあった南野営にいたことだけは確かであり、金貞淑も夫の金日成を熱い想いで出迎えたに違いない。
金日成は南野営について、次のように回想している。
「南キャンプから東へ少し行くと、ハバロフスクからウラジオストクに通じる鉄道があり、小さい駅があります。南キャンプに集結した人民革命軍の隊員は、自力で兵舎を増設し、住宅や倉庫、食堂、洗面場なども建てました。兵舎は半壕舎式のものでしたが、現在の人民軍の兵舎のようにベッドは二段式になっていました。あのとき隊員たちは建設工事でだいぶ苦労しました。兵舎の前には、広々とした運動場もありました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版161頁)
南野営に収容されていたのは架空部隊の朝鮮人民革命軍ではなく、東北抗日連軍第1路軍と第2路軍の一部(第5軍)の隊員たちだった。南野営があった蛤蟆塘(ハマタン)は「ブスイロフ」という地名だったという情報もあるが(朝鮮族ネット『朝鮮族近現代史』)、地図で確認することができない。シベリア鉄道にはヴォロシロフ駅から終点ウラジオストク駅に向かって、バネヴロヴォ、ワラノフスキイ、ラズドリノエ、キパリソヴォ、ナデジンスカヤ、アムルスキイ・ザリーフという小さな駅が続くが、残念ながら今のところ、ハマタンの最寄り駅がどこなのかも不明である。
金日成は回顧録のなかで「小部隊を率いて出発する準備をしていたある日」と日付を曖昧にするという手法で、南野営に到着した当日の出来事について書いている。
「わたしが小部隊を率いて出発する準備をしていたある日、戦友たちがやってきて写真を撮ろうと言うのでした。小部隊の工作に出かければいつまた会えるか分からないから、写真を撮って記念に残そう、カメラは手に入れてきたから、金将軍は顔だけ貸してくれればいい、と言うのです。軍服を着て外に出ると、崔賢がわたしを待っていました。まだ肌寒くはありましたが、あたりには春の気配がはっきりと感じられるころでした。わたしは春の水気を含みはじめた樹木にもたれて、戦友と写真を撮りました。久しぶりに南キャンプで再会した記念、会ってはまた別れる小部隊の記念でもありました。他の戦友も二人、三人と組になって写真を撮りました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版175頁)
このときの写真は平壌の朝鮮革命博物館に展示されているが、4人で写った写真を切り刻んで、3人での記念写真に改竄されているが、その修正技術はあまりにも稚拙である(掲載写真参照)。 (文・惠谷治)
(つづく)
☆は月へんに勃の左の字
[第1回]白頭山密営での誕生神話(その1)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-25.html
[第2回]白頭山密営での誕生神話(その2)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-26.html
[第3回]『金日成伝』のなかの生母・金貞淑
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-27.html
[第4回]母は孤児となり遊撃根拠地に移動
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-28.html
[第5回]父・金日成と母・金貞淑の出会い
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-29.html
[第6回]生母・金貞淑のパルチザン部隊入隊(その1)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-30.html
[第7回]生母・金貞淑のパルチザン部隊入隊(その2)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-31.html
[第8回]生母・金貞淑のパルチザン部隊入隊(その3)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-32.html
[第9回]射撃名手とされている金貞淑
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-33.html
[第10回]3人のジョンスギ(貞淑たち)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-34.html
[第11回]地下工作員として任務遂行(その1)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/01/post-35.html
[第12回]地下工作員として任務遂行(その2)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/02/post-36.html
[第13回]金日成が金貞淑に与えた金の指輪
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/02/post-37.html
[第14回]「苦難の行軍」に参加した金正日の母
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/02/post-38.html
[第15回]青峰密営での「歯磨き粉毒薬事件」
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/02/post-39.html
[第16回]炊事隊員としての本領を発揮
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/02/post-40.html
[第17回]朝鮮国内で樹木にスローガンを刻む
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/02/post-41.html
[第18回]物資調達のための劉通事誘拐事件
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/02/post-42.html
[第19回]関東軍による治安粛正特別工作
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/02/post-43.html
[第20回]地理的地帯を彷徨する金日成部隊
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/02/post-44.html
[第21回]満洲における金日成の最後の戦闘
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/03/post-45.html
[第22回]ポルノグラフィを散布した関東軍
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/03/post-46.html
[第23回]団(連隊)制をやめ「中隊制」に再編
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/03/post-47.html
[第24回]小部隊活動に変更と告げた小哈爾巴嶺会議
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/03/post-48.html
[第25回]捏造された金日成の魏拯民病気見舞い
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/03/post-49.html
[第26回]コミンテルンからの連絡という創作
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/03/post-50.html
[第27回]独断でソ連領への逃避行を開始
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/03/post-52.html
[第28回]金貞淑とともにソ連に脱出した女性隊員
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/03/post-53.html
[第29回]ソ連への逃避行の途上であげた結婚式
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[第30回]ソ満国境で赤軍に拘束された金日成
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/03/post-55.html
[第31回]新婚夫婦はいつ入ソしたのか(その1)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/04/post-56.html
[第32回]新婚夫婦はいつ入ソしたのか(その2)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/04/post-57.html
[第33回]新婚夫婦はいつ入ソしたのか(その3)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/04/post-58.html
[第34回]新婚夫婦はいつ入ソしたのか(その4)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/04/post-59.html
[第35回]金日成夫婦に長女がいたという証言
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/04/post-51.html
[第36回]蛤蟆塘(ハマタン)にあった南野営
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/04/post-60.html
[第37回]南野営での記念写真(その1)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/04/post-61.html
[第38回]南野営で撮影された記念写真(その2)
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/04/post-62.html
[第39回]金日成が率いる第1支隊の満洲越境出撃
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/04/post-63.html
[第40回]北野営に創設された「第88特別旅団」
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/04/post-64.html
[第41回]手記内容を訂正した"金正日の乳母"
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/05/post-65.html
[第42回]弟の出産と混同したハバロフスク誕生説
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/05/post-66.html
[第43回]金貞淑は「過期妊娠」で出産したのか
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/05/post-67.html
[第44回]1941年2月に南野営で出産した金貞淑
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/05/post-68.html
[第45回]1974年の「出生33周年祝賀電文発送運動」
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/05/post-69.html
[第46回]中国における金日成研究の第一人者の証言
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/05/post-71.html
[第47回]遂に暴かれた金正日出生の秘密
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/05/post-72.html
[第48回]追記
http://www.hokkaido-365.com/feature/2006/05/post-73.html

