2006年11月アーカイブ

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル

[第6回]自宅の庭の池で溺死した弟

 

金日成宅の自宅

左は平壌の金日成宅の自宅で撮影されたものと思われ、左から金日成、金正日、金慶喜、そして右端は金日成の実弟である金英柱。子供たちの背後にいる2人の若い女性は保母たちである。金平日の姿がないことから、1947年7月以降に撮影したものと推定される。右の写真の背後にはプロペラ機があるところから、平壌の飛行場を訪れたときに撮影された金正日のスナップ。撮影年月日は不明

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル

[第5回]器量がよくないといわれた金正日の妹

 

金正日

この2枚の写真は、ソ連第25軍の政治委員だったニコライ・レベジェフ退役少将にインタビューした際、複写させてもらったものである。左の写真の裏には「花津浦にて、1948年8月7日」と朝鮮語で書かれていた。夏休みに江原道花津浦(朝鮮戦争後は韓国領)の休養所を訪れた高級幹部の子弟たちのスナップ写真で、左端がレベジェフ少将の息子アレクサンドル、その右隣が金正日、前列の白い服を着ているのが妹の金慶喜である。右の写真は1948年11月、ソ連進駐軍が撤収する前にソ連軍司令部の幹部夫人たちと記念撮影されたもので、左から許貞淑(文化宣伝相)、朴正愛(後の朝鮮民主女性同盟委員長)、1人おいて金貞淑と金正日。右から2人目がエフドキア・レベジェワ夫人

東区の女子収容施設。

 

恵庭市北島

写真・2000年3月17日に被害者の
遺体が発見された恵庭市北島の現場

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル

[第4回]朝鮮に帰国したときを覚えている金正日

 

金日成

ソ連第25軍の政治将校だったグリゴリイ・メクレル元中佐とモスクワでインタビューしたとき、アルバムの中から探し出してくれたこの写真の裏には、「1946年4月に撮影」というメモがあった。この貴重な写真を私が雑誌で紹介したところ、その雑誌が平壌に送られ、思い出深い写真が残っていることを知った金日成は、直ちにプリントを入手するように側近に命じたという。しかし、私のところには連絡はなく、雑誌をコピーして写真にしたものが朝鮮総聯を通じて金日成に届けられたということである

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル

[第3回]1944年に北野営で生まれた弟の金平日 

金日成の生家の庭

左の写真は、1946年、平壌郊外の万景台にある金日成の生家の庭で撮影されたものと推測され、右から金日成、拳銃を構えるような姿の金正日、金日成の祖母・李宝益、そして崔庸健(北朝鮮臨時人民委員会保安局長、後の民族保衛相)である。右の写真は平壌の金日成宅の庭で撮影されたと思われる幼い金正日の軍服姿。撮影年月日は不明

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル

[第2回]母に抱かれ南野営から北野営に移動

 

金正日・金平日の兄弟

夏の日差しを浴びて、笑顔の母親に見守られて裸の兄弟が遊んでいるものと、裸の男児の2枚の写真は、朝鮮戦争当時、米軍兵士が平壌で入手したものといわれ、朝鮮戦争40周年を機にロサンゼルスの韓国文化センターが公表したものである。左は金日成の自宅の庭で撮影され金貞淑と金正日・金平日の兄弟であり、その髪型などから判断すると、右の男児は1947年に溺死した薄幸の金平日と推定される

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル

[第1回]パリ留学中だった金正日の姪の自殺事件

 

金慶喜

金正日の実妹である金慶喜(左上)の写真は、私が知る限り2枚しか公表されていない。金慶喜は1975年に党国際部に入り、84年には党国際部福部長に就任したが、同時に就任した党国際部長の金容淳党書記と親しく、94年の金日成死去の弔問の際(左下)や、会議場で隣同士に座る(右下)など、金容淳と一緒にいる姿がニュース映像で確認されている。金慶喜の夫である張成沢(右上・共同通信提供)は、94年から党組織指導部第1副部長を務めていたが、03年末前後に失脚し動静が途絶えていたが、06年1月に復権し、現在は首都建設部第1副部長といわれている

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