2006年12月アーカイブ
第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル
[第16回]最初の結婚の事実を隠していた父親
中国吉林市の西部に北山公園と呼ばれる小高い丘の上に、古びた薬王廟がある。薬王廟の奥まった建物の床下に、金日成が毓文中学に通っていた時代に秘密会議を開いたという「革命活動地下室」がある。金日成は回顧録で、薬王廟の地下室で「朝鮮共産主義青年同盟」を結成したと述べているが、実際には共産主義文献を読む「秘密読書サークル」であり、中国語の説明板には「金日成主席が吉林毓文中学で読書をしていた期間、<略>この地下室において秘密会議を開催した」となっていた。私は1992年にこの地下室(写真下)を現地取材したが、案内員から日本人の訪問者は初めてと言われたこと思い出す。写真は著者撮影
第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル
[第15回]混乱する父の初恋相手と最初の妻の名前
金日成回顧録『世紀とともに』第2巻には「地下運動の日びにわたしを援助してくれた韓英愛」として、その顔写真が紹介されている(左上)。しかし、韓英愛は金日成の最初の妻の名であり、金日成が吉林の毓文中学(写真下、著者撮影)に通っていた時代に親しかった女性(初恋相手と推測)は韓成姫である。右上の写真は林隠著『北朝鮮王朝成立秘史』で紹介された金日成の妻だったという「韓聖姫」であり、戦後に金日成と再会したときには韓英淑と改名していたという。いずれの女性名も「韓」という姓のため、証言者による混同がみられるが、金日成本人も意図的に混同させているのである
第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル
[第14回]女性実力者に結婚の仲介を頼んだ金聖愛
1907年生まれの朴正愛は、朝鮮民主女性同盟の委員長を15年間も務めていたが、1968年に粛清されたためか、写真が少ない。右上は1948年11月、ソ連進駐軍が撤収する際の記念写真で、文化宣伝相だった許貞淑(左)と並ぶ朴正愛(右)。左上は、韓国の中央日報発行の『北韓人名辞典』1990年度版に掲載されている朴正愛。下の写真(著者がモスクワで入手)は1945年10月14日に開催された「ソ連解放軍歓迎平壌市民大会(北朝鮮では金日成将軍歓迎大会と偽称)」の演壇で演説する朴正愛の夫である金鎔範。写真中央に若い金日成が座っている
第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル
[第13回]内閣事務局のタイピストを見初めた金日成
金日成は朝鮮戦争中に金聖愛と再婚したが、実母を慕う金正日は権力を握った後、継母である金聖愛の写真を厳しく管理したため、公表されている金聖愛の写真は極めて限られている。左上は金日成夫妻が1975年5月から6月にかけて東欧・北アフリカを歴訪したさいに、アルジェリアのアルジェ空港に降り立った際のツーショットであり、右上はその拡大写真である(共同通信社提供)。右下は75年6月にユーゴスラヴィアを訪問して、チトー夫妻との記念写真、左下はチマチョゴリ姿の金聖愛の貴重なショットである
第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル
[第11回]「喜ばせ組」の雛形を作っていた父親(その2)
この写真は、ソ連第25軍のグリゴリイ・メクレル元中佐が著者に提供してくれたものである。金日成の祖国帰還から10日後の9月30日、ペトロフという変名を持っていたメクレル中佐(政治将校で工作担当)は、日本統治時代から有名だった平壌一の料亭「花房」において歓迎会を開いたという。写真にはキーセン(妓生)に囲まれ、上機嫌な金日成が年長者の前であえて銜え煙草をして、大物であることを誇示している。金日成はその後、平壌妓生学校の卒業者のほとんど全員と関係をもったともいわれている
第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル
[第10回]「喜ばせ組」の雛形を作っていた父親(その1)
左は「伝説の舞姫」といわれた崔承喜(02年11月19日付朝鮮日報より転載)、右は北朝鮮で人民俳優として活躍していた文芸峰。ともに金日成の色欲の犠牲になったといわれている。崔承喜は1911年にソウルで生まれ、日本に渡りモダン・ダンスの石井漠に師事して、独自のスタイルを築き、日本のみならず欧米で好評を博した。戦後、北朝鮮に渡り、舞踏研究所を設立したが、粛清された結果、1967年以降は消息不明となっている。文芸峰は夫の林宣奎とともに1948年にソウルから平壌に入り、人民俳優として映画界のトップで活躍し、1999年に死没している
第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル
[第9回]カーセックスを目撃された金日成
左は韓国で出版された本のなかで「平安南道の順川女子師範専門校の同級生たちと」というキャプションで紹介された若き日の金聖愛(右の女性)のコピー(書名は不明で情報をお持ちの方はご一報願いたい)。金聖愛の存在が初めて公けに公開されたのは1965年であるが、継母となった金聖愛を嫌悪する金正日は、金聖愛の写真を厳しく管理しているようで、ほとんど公表されていない。右は金日成が23歳の金聖愛と知り合った1947年に開催された朝鮮人民軍閲兵式(2月8日)にソ連の軍装で現われた金日成(当時35歳)


