2007年1月アーカイブ

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第27回] 金日成が知らないうちに密かに誕生した長男

 

「金日成バッジ」を付けるようになった金正日

北朝鮮の公式伝記によれば、長男が誕生した2日後の71年5月12日、金正日は青山協同農場(当時の平安南道江西郡)の田植え現場を訪問している。青山協同農場は金日成が党優先の経済管理方式である「青山里方式」を打ち出したところとして知られている。公表されている写真を見ると、30歳の金正日は左胸に大きな「金日成バッジ」を付けるようになっており、まだ眼鏡はかけていないことが分かる。当時は「金日成バッジ」は一部のエリートしか着用していなかったが、金正日の指示によって、着用は全国民の義務となった

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第26回]憧れていた人気女優と再会した金正日

 

成★琳と金正日

左の写真は、1968年、カンボジアのノロドム・シアヌーク殿下の提唱で開催された第1回プノンペン国際映画祭において、シアヌーク夫人であるモニク妃殿下(写真中央)と談笑する成★琳(写真左)。出品作品の『霧の流れる丘』は思想宣伝映画だとして評判は悪かったが、成★琳は出席者やマスコミとの対応では笑顔でこたえ、北朝鮮の評価を高めた。1960年代後半の日付入りの金正日の写真は公開されていないが、右の「論文執筆中の金正日書記」という説明がある撮影年月不明の写真は、1968年前後に撮影されたものと推定される

パートナーが掃除をすることを慮れば...

 

小用便器.jpg

写真・姿を消した男性の小用便器

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第25回]文化芸術指導課長の職権を濫用して女優と関係

 

革命歌劇の指導をする金正日

金正日は党宣伝煽動部の文化芸術指導課長時代、、職権を濫用して女優を篭絡する一方で、政治的宣伝や煽動において文化芸術の重要性を認識するようになった。上掲写真の撮影年月は不明だが、革命歌劇「花を売る乙女」の指導している70年代はじめの金正日。1972年に初公演された「花を売る乙女」を観覧した老幹部や観客たちは全員涙を流したといわれ、こうした実績によって金正日は老幹部たちの信頼を獲得していった。下は1978年に発行された北朝鮮の1ウォン紙幣で、「花を売る乙女」の主人公であるコップニが中央にデザインされている

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第24回]大学卒業直後に結婚した最初の妻(その3) 

洪一天

左は、中央日報社附設東西問題研究所が編纂した『北韓人名辞典1990年度版』の洪一天の項目で、現職が「政務院教育委員会普通教育部副部長、最高人民会議代議員」という説明があるだけだが、右のソウル新聞社発行の『北韓人名辞典1992年度版』では、洪一天は「金正日の前妻説」という注釈がついており、ともに洪一天の顔写真が掲載されている

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第23回]大学卒業直後に結婚した最初の妻(その2)

 

金日成とボートに乗る洪命憙

平壌郊外の湖で46歳の金日成(首相)が漕ぐボートに乗って、舟遊びを楽しんでいるのは、越北作家で副首相だった70歳の洪命憙。彼の娘の洪貴媛は、金正日を世話する家政婦だったためか、金正日が最初に結婚した洪一天と混同されたことがある。この写真はカメラマニアだった17歳の金正日自身が、1958年5月1日に撮影したものといわれている。当時の金日成政権の閣僚たちのほとんどは、金日成によって粛清され、非業の最期を遂げているが、洪命憙副首相は幸運にも80歳の天寿をまっとうし、1968年に病没している

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第22回]大学卒業直後に結婚した最初の妻(その1)

 

大学時代の金正日

上掲の写真は、金正日が大学3年だった1962年11月に父の現地指導に同行して平壌郊外(寺洞区域)の梨★協同農場を訪問したときのもので、この写真は後に革命博物館に展示されたという。左下の写真は「科学を探求する金正日書記」というキャプションがついているだけだが、大学時代の金正日と推定される。右下は父親の現地指導に同行して、列車から下車するショットであるが、撮影されたのは1962年で、「労働新聞」に掲載されたといわれるが、私は確認できず詳細は不明である。★は硯の石が山

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第21回]大学時代から本格化した金正日の女性遍歴 

金正日

2枚の写真は、未来社発行の『偉大な指導者金正日』に掲載されているものである。上の写真の撮影年月は不明だが、「ユーラではなくジョンイル」と呼んでくれ」と言った金正日が、金日成総合大学に入学した直後、「首相さまのご子息」とどう接していいのか戸惑っているクラスメートたちの表情がよく見てとれる。下の写真は「龍城道路工事に参加した金正日書記(2列目左から4人目)」という説明があり、金正日が大学1年の1961年5月15日から6月4日までの間に撮影されたものと推定される。しかし、撮影年月が1963年11月という資料もあり、写真の旗は「二重千里馬学級称号」という可能性もある

うろたえることなく毅然と絞首刑に臨んだ独裁者は「殉教者」に...。

 

フセインの肖像.jpg

ティクリートに造られたフセインの息子・ウダイ
の宮殿にあったフセインの肖像は、顔が剥が
されていた(写真はいずれも2003年撮影)

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第1章 ロイヤル・ファミリーの女性スキャンダル

[第20回]東ドイツ航空士官学校に留学という誤情報

 

修正された卒業写真

1960年8月、南山高級中学校の卒業の際に撮影されたクラス全員の記念写真に、上掲のように修正されたものがあることを私は発見した。下のオリジナル写真を見る限り、後列右から2人目の金正日(矢印)は、級友たちとともに自然に写真におさまっている。しかし、上掲の写真では、後列右端の金正日が特別な存在になるように、彼の右側にいる学生や教師たちはカットされており、後列右から5番目の学生の顔は、明らかにすげ替えられている。また、不思議なことに、なぜか窓ガラスまで修正されている

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