2007年2月アーカイブ

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第36回] 在日大物商工人の息子と禹仁姫との出会い

 

1979年2月に撮影された観劇する金正日

伝記『偉大な指導者、金正日』には「革命歌劇『血の海』の 500回記念公演を観覧し、祝賀をおくる金正日書記」という撮影年不明の写真が掲載されているが、1979年2月に撮影されたものである。写真集『平壌』には、「平壌テレビ放送局の総合操作室」という説明がついた左下の写真があるが、北朝鮮のテレビ局は、朝鮮中央テレビ、万寿台テレビ、教育文化テレビ、そして地方局の開城テレビの4局しかなく、写真は「朝鮮中央テレビ」の調整室と思われる。右下は、平壌市内に聳えるテレビ塔(著者撮影)

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第35回] 美貌と演技力に優れていた「人民俳優」禹仁姫

 

劇映画『安重根、伊藤博文を撃つ』の撮影現場を視察した際、メガネをはずしてカメラを覗く金正日

1973年に宣伝煽動担当書記に就任した金正日は、映画の撮影現場にしばしば足を運んでいたが、上掲の2枚の写真は、1979年3月3日、劇映画『安重根、伊藤博文を撃つ』の撮影現場を視察した際、メガネをはずしてカメラを覗いている珍しいショットである。下の写真は、北朝鮮に拉致され、金正日の映画制作に協力させられた韓国人女優の崔銀姫が、初めてメガホンをとった『帰らざる密使』をチェコスロヴァキアのパランドフ撮影所において撮影しているときの現場風景。『帰らざる密使』は1984年7月にチェコの第24回カルロビ・バリ国際映画祭において最優秀監督賞を受賞した

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第34回] あられもない姿で「キップムジョ」が踊る淫らな宴

 

月刊朝鮮社発行の『申相玉・崔銀姫秘録』より転載した金正日などの写真

左上は、香港から拉致され、1978年1月22日に南浦港に上陸した直後、党調査部の李完基部長に伴われて歩く韓国人女優の崔銀姫。左隅には金正日が党調査部の任浩君副部長から報告を受けている姿が写っている。右上は1983年10月19日に金正日と公式の場で初めて会見した申相玉・崔銀姫夫妻。下の写真は金正日とともに万寿台芸術団の舞踏練習場を訪れた崔銀姫。その右のサングラスの男が任浩君副部長、その右が李完基部長。写真はいずれも、月刊朝鮮社発行の『申相玉・崔銀姫秘録』より転載

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第33回] 父親の隠し子を世話した後、4歳間近になった長男・正男の出生を告白

 

金正日38歳の誕生日に従兄の李韓永(本名・李一男)と従姉の李南玉と共に写る7歳当時の金正男(右)と、金正日が40歳のときに10歳になった長男の金正男と並んで撮った写真

右は金正日が父親に息子の存在を告白して5年目の1979年2月16日、金正日が38歳になった誕生日に、従兄の李韓永(本名・李一男)と従姉の李南玉と共に写る7歳当時の金正男。左は、1981年8月9日、金正日が40歳のときに10歳になった長男の金正男と並んで撮った貴重な写真。後列は左から、成★琅、李南玉、李韓永。写真はいずれも韓国で出版された成★琅著『藤の木の家』より転載。★はくさかんむりに惠

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第32回] 越南者に続き在日帰国者を愛人にした金正日

 

海外向けに発売されたレコード・ジャケット

左上のカラーと下のモノクロは、1973年に万寿台芸術団が来日公演した後に、「コリアン・レコード」と いうレーベルで、海外向けに発売されたレコード・ジャケット。左上は民族楽器のチャンゴによる創作舞 踏を単独で演じる高英姫。右上はチャンゴの民族舞踏を紹介するパンフレットの写真で、3人のうち中央にいるのが高英姫。下は日本公演でも演じられた歌劇『祖国のつつじ』の一場面で、前列中央が高英姫。この演目は高英姫の代表作といわれている

スポーツはNHKの独占放送にすべき。

 

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第31回] 万寿台芸術団出身の金正日の新しい愛人

 

モスクワで療養する成★琳(左)と成★琳が住んでいたアパート

左の写真(韓国で出版された成★琅著『藤の木の家』より転載)はモスクワで療養する成★琳。撮影年月は不明だが、1970年代後半と推定される。右はモスクワ南西部の外交団アパート群が並ぶヴァヴィロフ通り85番地の成★琳が住んでいたアパート(2003年12月1日著者撮影)。15階建てのアパートの各フロアーには5世帯が入居しているが、成★琳は3階の全フロアーを借りており、2階に成★琳の補佐官である崔俊徳副部長、1階には平壌から派遣された調理師、運転手、賄い婦など5、6人の随行員が住んでいた。アパート内で成★琳は「サモニム(奥さま)」と呼ばれていたが、秘密保持のため対外的な偽名は「申女史」だったという。★はくさかんむりに惠

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第30回] 側近たちを集めた金正日の深夜の秘密宴会

 

著者とインタビューの際の申英姫(42歳当時)と著者のために書いてくれた自筆のサイン

「私はキップムジョでした」と自ら語った申英姫は、1961年に南浦市で生まれ、79年に平城芸術専門学校を卒業後、「ピパダ(血の海)歌劇団」に入団。81年に北朝鮮最高の舞踏団「万寿台芸術団」に移り、花形スターとして活躍し、中国、ソ連、韓国などの海外公演にも参加。その一方で、84年にキップムジョ「白頭山組」の組長として、金正日の秘密宴会でダンスを披露していた。86年に党財政経理部長の子息と結婚し、89年に万寿台芸術団を退団。95年に家族4人とともに韓国に亡命した。3点の写真(小学館「週刊ポスト」提供)は著者とインタビューの際の申英姫(42歳当時)。左下は著者のために書いてくれた自筆のサイン

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第29回] 長男を産んでも日陰者扱いに悩んだ成★琳

 

親子3人

在日朝鮮総連が編集した『金正日略伝』のグラビアには、「父と妹の慶喜とともに(自宅の庭で、1963)」というキャプションがついた貴重な親子3人の写真が掲載されている。写真の金日成は51歳で当時は首相、金正日は22歳で金日成総合大学在学中、妹の金慶喜は17歳で南山高級中学在学中である。公開されている貴重な1枚にもかかわらず、写真からは親子3人の仲睦まじい情愛は感じ取れず、3人の心はそれぞればらばらという印象を受けるのは、私だけなのだろうか

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第28回] 「唯一後継者」指名後、父の勧めに従って再婚した金正日

 

創作家会議に参席した金正日

72年9月6日、金正日は朝鮮文学芸術総同盟傘下の創作家会議に参席した。写真説明は「作家、芸術人に共産主義人間学について語る金正日」となっている。公式伝記によれば、創作家たちの思想闘争会議で「文学芸術作品の創作において革命的な転換を起こすことについて」という結語を述べたとされるが、その内容が明らかになったのは、20年後の93年2月に出版された『金正日選集第2巻』によってであった。1970年代初めの金正日の写真は数少ないが、この写真を見る限り、党兼任副部長としての貫禄は十分のようで、31歳ですでに現在の体型に近くなっていることが分かる

特集記事北海道のローカルニュースを発信する情報サイト