2007年4月アーカイブ

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第57回] 名前を聞かれて答えなかった金正男少年

 

[金日成一家の系図]

[金日成一家の系図]金正日の子供たちの話に入る前に、金正日の家族関係を整理した系図を紹介しておく。系図が複雑になるため、今回は金正日の子供たちは省略しているが、いずれ金正日の子供たちの系図も紹介したい。(原図製作・惠谷治、デザイン・鍵本博子)

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第56回] 金正日は極秘来日したことがあるのだろうか

 

金正日の背広姿

金正日の背広姿の写真は私が確認している限りでは、青年期に金日成の現地指導に随行している写真2点と、50歳(実際には51歳)の誕生日を迎える1992年に発行された在日朝鮮人向けの月刊誌『祖国』に掲載されたカラー写真2点だけである。左の写真は1960年代に金日成の軍部隊訪問に同行した20代の金正日、右は在日朝鮮人が寄贈した雑貨類を延亨黙首相らを連れて視察中のスリーピース姿の金正日。金正日は背広が似合わないことを自覚しているに違いない

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第55回] 「党中央」というコードネームで呼ばれていた金正日

 

演説する33歳の金正日

金正日が「唯一後継者」に正式決定された1週間後、金正日は全国党宣伝活動家講習会を招 集した。この講習会において金正日は「全社会の金日成主義化をめざす党思想教育活動における 当面のいくつかの課題について」(93年12月5日に全文が判明)という4時間にも及ぶ演説をおこなっ たという。金正日はこの演説において、主体思想は金日成主義であると正式に宣言し、北朝鮮を支 配する思想は金日成主義であると説明した。写真は平壌で開かれた講習会の最終日(74年2月 19日)で演説する33歳の金正日

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第54回] 金聖愛の長男である金平一の存在

 

後継者争いのライバルだった金平一

金日成の四男であり、金聖愛の長男の金平一は、背が高く顔も金日成によく似ており、短身コンプレックスの金正日にとって、後継者争いにおける最大のライバルだった。金正日は金日成軍事総合大学を卒業した27歳の金平一を、ユーゴスラヴィアの駐在武官補として国外に送り出し、その後もハンガリー、ブルガリア、フィンランド、ポーランドと常に国外に置いて、権力中枢部から遠ざけていた。左上の写真は、金平一と金順琴夫人の貴重なツーショット

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第53回 唯一後継者になるための最大の障害だった継母・金聖愛

 

金日成の母親・康磐石

上掲の2枚は、金日成の母親である康磐石(1892~1932年)の肖像画である。金日成は1975年に東欧・アフリカ諸国を歴訪したが、「金日成主席のアルジェリア民主人民共和国訪問を熱狂的に歓迎する数十万アルジェ市民(75年5月)」という説明がある下の写真が、北朝鮮の写真集に掲載された。その写真には4枚のプラカードがあり、左から金日成、中央の2枚が金日成の母親の康磐石、そして右端にフアリ・ブーメディエン革命評議会議長の顔写真が掲げられている。しかし、写真をよく見ると、ブーメディエン議長の写真は辛うじてプラカードに見えるようにごまかしているものの、金日成の写真はプラカードの支柱もなく宙に浮いており、偽造されたものであることが明白である。この写真の最大の偽造部分は中央の康磐石のプラカードで、実際には金聖愛の写真が掲げられていたが、金正日の命令にって康磐石に差し替えられ、修正する際に金日成とブーメディエンの写真がつけ加えられたのだった

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第52回] 金日成と金聖愛との間に生まれた末娘

 

80歳の金日成

1992年4月25日の朝鮮人民軍創建60周年の記念閲兵式で、金日成広場に面する主席壇から、金正日は「朝鮮人民軍に栄光あれ!」と挨拶をした(写真上)。金正日の肉声が公開されたのは、それが初めてだった。80歳の金日成も主席壇に登場したが、春だったためか高英煥証言にある「金日成の横で汗を拭き、護衛官にお茶を持ってきて差し上げろと指示し、金日成が扇子と言うとすぐに扇子を持って来るなど、熱心に父に尽くしていた」という末娘の姿はなかった

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第51回] 金日成は世襲化を決断し『政治用語辞典』から「世襲的継承」の項目を削除

 

金日成の有名な瘤

左上は1972年7月にメキシコ共産党代表団と会見した際の金日成の右の横顔、右上は72年10月に世界労働連盟代表団と会見した際の左の横顔。下は72年5月に平壌郊外の万景台養鶏場を訪れ、女性労働者たちに囲まれた金日成。還暦を迎えた金日成は、この年の暮れに「首領独裁制」を完成させた。左上の写真は、まださほど大きくはなっていない金日成の有名な瘤が写っている貴重なショット

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第50回] 日本軍の通訳をしていた金日成の弟

 

金英柱

著者がモスクワで北朝鮮関係者から入手した金英柱(右)の写真。左の人物は不明だが、金英柱が1952年にモスクワに留学する直前に撮った記念写真と推定される。金英柱「顔は兄に似ていず、色白、切れ長の目、細く通った鼻、うすい唇、角ばったアゴ」と金日成官邸で女中をしていた萩尾和子氏(当時16歳)の描写通りであることが、この写真から分かる

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第49回] 金正日の愛人である鄭日善と金オクは同一人物か

 

旺載山軽音楽団のダンサーたち

金オクは芸術系の人材を養成する平壌第1金星高等中学校、平壌音楽舞踊大学でピアノを専攻し、キップムジョの「三池淵組」あるいは「旺載山軽音楽団」に配置された後、金正日に見初められ、キスル書記(個人秘書)になったと推定される。上掲と左下の写真は、旺載山軽音楽団のダンサーたちの踊りの数少ない貴重なショット。右下は金正日の専属料理人として北朝鮮で13年間過し、数々の貴重な証言をしている藤本健二氏(小学館提供)

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第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係

[第48回] 金正日の秘書として活躍している「オギ同志」

 

特使として訪米した趙明録国防委員会第1副委員長

左上の写真は、趙明録国防委員会第1副委員長(写真右から2人目)が金正日の特使として訪米し、2000年10月11日、ワシントン郊外の米国務総省においてコーエン国防長官(写真の左)と会談する風景。この訪米団には北朝鮮外務省の姜錫柱第1外務次官(写真右から3人目)らと共に、金オク(写真右から5人目)が「金仙玉」という仮名の随行員として同行していた。1964年生まれと推定される金オクが「抹殺された美女」だとすれば、左下の写真は24歳当時、右下の写真は36歳当時の姿ということになる

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