第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者
[第57回] 名前を聞かれて答えなかった金正男少年
[金日成一家の系図]金正日の子供たちの話に入る前に、金正日の家族関係を整理した系図を紹介しておく。系図が複雑になるため、今回は金正日の子供たちは省略しているが、いずれ金正日の子供たちの系図も紹介したい。(原図製作・惠谷治、デザイン・鍵本博子)
第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者
[第55回] 「党中央」というコードネームで呼ばれていた金正日
金正日が「唯一後継者」に正式決定された1週間後、金正日は全国党宣伝活動家講習会を招 集した。この講習会において金正日は「全社会の金日成主義化をめざす党思想教育活動における 当面のいくつかの課題について」(93年12月5日に全文が判明)という4時間にも及ぶ演説をおこなっ たという。金正日はこの演説において、主体思想は金日成主義であると正式に宣言し、北朝鮮を支 配する思想は金日成主義であると説明した。写真は平壌で開かれた講習会の最終日(74年2月 19日)で演説する33歳の金正日
第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者
[第53回 唯一後継者になるための最大の障害だった継母・金聖愛
上掲の2枚は、金日成の母親である康磐石(1892~1932年)の肖像画である。金日成は1975年に東欧・アフリカ諸国を歴訪したが、「金日成主席のアルジェリア民主人民共和国訪問を熱狂的に歓迎する数十万アルジェ市民(75年5月)」という説明がある下の写真が、北朝鮮の写真集に掲載された。その写真には4枚のプラカードがあり、左から金日成、中央の2枚が金日成の母親の康磐石、そして右端にフアリ・ブーメディエン革命評議会議長の顔写真が掲げられている。しかし、写真をよく見ると、ブーメディエン議長の写真は辛うじてプラカードに見えるようにごまかしているものの、金日成の写真はプラカードの支柱もなく宙に浮いており、偽造されたものであることが明白である。この写真の最大の偽造部分は中央の康磐石のプラカードで、実際には金聖愛の写真が掲げられていたが、金正日の命令にって康磐石に差し替えられ、修正する際に金日成とブーメディエンの写真がつけ加えられたのだった
第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る
第2章 「唯一後継者」の乱れた女性関係
[第48回] 金正日の秘書として活躍している「オギ同志」
左上の写真は、趙明録国防委員会第1副委員長(写真右から2人目)が金正日の特使として訪米し、2000年10月11日、ワシントン郊外の米国務総省においてコーエン国防長官(写真の左)と会談する風景。この訪米団には北朝鮮外務省の姜錫柱第1外務次官(写真右から3人目)らと共に、金オク(写真右から5人目)が「金仙玉」という仮名の随行員として同行していた。1964年生まれと推定される金オクが「抹殺された美女」だとすれば、左下の写真は24歳当時、右下の写真は36歳当時の姿ということになる