2007年7月アーカイブ

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第87回] 金正日の母親である金貞淑の故郷を秘密訪問した金正哲

 

金正日は母親・金貞淑の像

金正日の母親である金貞淑は、1917年に中国との国境である咸鏡北道会寧市の貧農の家に生まれた。12歳のとき父親が病死したため満洲に渡ったが、戦後ソ連から帰国してからも故郷を訪れる機会はなく1949年に病没した。1974年、金正日は母親の故郷である会寧に金貞淑像を建立し、「金貞淑同志革命事績館」を開館させた。金日成の生家である万景台と同様、会寧は北朝鮮の聖地となっている

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第86回] 側近たちに後継者問題の論議を止めるよう特別指示した金正日

 

平壌市中区域にある中央党敷地内の金正日執務室のある建物の全景

上掲の写真は、2007年4月10日、ソウルで設立された「北朝鮮民主化委員会」が公表した平壌市中区域にある中央党敷地内の金正日執務室のある建物の全景である。下の写真は、2005年2月16日、金正日の誕生日を記念して、朝鮮中央テレビが「偉大なる領導の輝く歴史」というドキュメンタリー映画を放映したが、そのなかで若き日の金正日の執務シーンとともに、執務室がある3階建てのビルの前面が映し出されたときのひとコマである。この写真が撮影された位置は、上掲写真の黄色の矢印からであることは疑いない

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第85回] 金正日の一番のお気に入りは食事の時に兄よりも上席に座る三男の金正運

 

藤本健二氏の手記『金正日の私生活』のグラビアページに掲載された系図

2004年7月に扶桑社から出版された藤本健二氏の第2弾の手記『金正日の私生活』のグラビアページには、上掲のような系図が掲載されている。高英姫の子供たちのうち、兄の金正哲については写真や証言などによって、ある程度の人物像が判明しているが、弟の金正雲と妹の金日純(金ヨジョン)については、藤本氏の記憶から作成されたモンタージュが掲載されたこの系図のイラストとわずかの藤本証言だけという現状である

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第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第84回] 後継者は「緻密な性格」の金正哲が有力と判断した韓国政府

 

全国中隊長大会

故金日成は朝鮮人民軍の「中隊」が中核であると最重視して、しばしば全国中隊長大会を開催した。1991年12月25日、人民軍中隊政治指導員大会(平壌体育館)、92年12月8日、人民軍中隊社労青初級団体委員長大会、95年3月15日、人民軍中隊長・中隊政治指導員大会、99年 2月27、28日、人民軍中隊長大会、2000年2月28日、人民軍中隊政治指導員大会などが公表 されている。上掲の写真は撮影年月日が不明であるが、中隊長大会のひとコマである

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第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第83回] 金正哲が後継者という情報は母親が死去したのちも続出

 

金正日系図

金正日の長男を産んだ成☆琳は韓国からの「越北者」で、姉など5人の係累が亡命し、他方、次男と三男を産んだ高英姫は日本からの「北送者」で、妹夫婦が亡命している。金正日の息子を産んだ2人の愛人は、出身成分が悪いだけではなく、親戚に亡命者がおり、北朝鮮の階級制度では最悪の状態である。金正日が「子供に恵まれなかった」と嘆いたのは、息子たちの母親を念頭において言った言葉なのかもしれない。その2人は、すでにこの世にはいない(原図製作・惠谷治、デザイン・鍵本博子)

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第82回] 金正哲の世話役だった金正日の妹夫婦のアメリカ亡命

 

金正哲が入学した「ベルン国際学校」

金正日の次男である金正哲が、1993年に入学したスイスの「ベルン国際学校」は、ベルン市郊外のギュムリゲンのマッテン通りにある。ベルン国際学校は1961年に創立され、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高等学校まであり、主として英語による授業がおこなわれている。進入学式は8月末であるが、金正哲は第10学年(高校1年)の始業式が始まる前に、突然に無断で退学してしまったという。写真はベルン国際学校の公式サイトから転載したものだが、最近では韓国人の子弟が多数通っているようである

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第81回] 高英姫はパリのジョルジュ・ポンピドー欧州病院で死去か

 

ジョルジュ・ポンピドー欧州病院

ジョルジュ・ポンピドー欧州病院(HEGP)は、パリ15区のセーヌ川にかかるジョルジュ5世橋近く(ルブラン通り20番地)に、2001年に建設された。レ・アールにあるジョルジュ・ポンピドー美術館と同じく、斬新なデザインのため、医学界だけではなく建築学会やデザイン業界からも注目を集めている。病院の受付は、空港やホテルのように明るくて広々としており、サインポードも大きくて見やすく工夫されているといわれる。高英姫はこの病院で死去したと思われるが、まだ確認することができないでいる。写真はHEGPの公式サイトより転載

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第80回] 乳癌、肺癌、脳梗塞、交通事故などで苦しんだ高英姫の最期

 

「楽しい朝の出勤」

発行年は不明だが、1960年代後半に北朝鮮で発行された国外向け宣伝パンフレットには、「楽しい朝の出勤」というキャプションがついた上掲の写真が載っている。その写真の先頭右手に白いチマ(スカート)をはいた女性が写っているが、この写真を見た在日朝鮮総連の関係者は、この女性が高英姫だと証言した。当時、高英姫は朝鮮芸術映画撮影所所属の女優であり、写真に写っている「出勤中の市民たち」というのは全員、映画俳優などの関係者たちの演技だという

第2部 金正日の女性遍歴の真相に迫る

第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第79回] 「革命の首脳部」は後継車を示すコードネームなのか

 

金日成の生家(右下)

左上は、金日成がソ連から帰国し、1945年10月15日、平壌郊外の万寿台の生家に初めて帰ったときの記念写真で(1969年発の『金日成伝』より)、左より祖母の李宝益、叔父の金亨禄、金日成、祖父の金輔鉉、叔母の玄養信である。金日成の両親はすでに他界しており、故郷には祖父母が住んでいた。右上は、家門の始祖である金継祥から10代目で、金正日にとっては曽祖父にあたる金輔鉉が、ソ連軍とともに現われた孫を迎えるシーン、左下は煙草を吸う金輔鉉、金日成家は代々長男が跡を継いでいる(2枚の写真は著者がモスクワで入手したもの)。右下は、現在は公園として整備され、北朝鮮の「聖地」となっている金日成の生家(著者撮影)

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第3章 「子供に恵まれなかった」と嘆いた独裁者

[第78回] 金正哲擁立の幻の「尊敬するオモニム」キャンペーン

 

成田空港から強制退去させられた金正男

成田空港から強制退去させられた金正男は、ラルフローレンの黒いポロシャツ、ズボンはそのシルエットからイタリア製とみられヴェルサーチかアルマーニと思われ、ベルトはバックルの形からカルティエ、茶色のベストはエルメスかフェラガモのスウェード製、靴はグッチ、首には太い金のネックレス、腕には金製のロレックスの特注腕時計と、ブランドに包まれた出で立ちだった(写真提供共同通信)。

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