2008年1月アーカイブ

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第11回] 非業の死を遂げた民族派キリスト教徒の★晩植

 

水豊発電所

水豊発電所は、中国と朝鮮の国境である鴨緑江の河口から80km地点にある。当時の満洲国と朝鮮の電力を確保するため、日本工営を創業した久保田豊氏により70万キロワットの発電所の建設が計画された。1937年に着工され、大東亜戦争中の1944年3月に完成した。900mの川幅に高さ105mの重力式のコンクリートダムが築かれ、ダム湖の面積は琵琶湖のほぼ半分の345平方kmで、当時は世界第2位の規模を誇るダムだった。写真は1994年7月9日、金日成が死去した翌日に著者が撮影したものである。ダムの右手(下の写真)に、金日成の肖像画が掲げられている

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第10回] 金日成が新設した党幹部養成機関「党熱誠者学校」

 

上の写真は鴨緑江断橋と中朝友誼橋、下は鴨緑江河岸にある公園

中国と北朝鮮の国境を流れる鴨緑江の中国側には丹東(旧安東)、北朝鮮側には新義州の町がある。1911(明治44)年11月に朝鮮総督府鉄道局は安東と新義州の間の鉄橋を完成させたが、上掲写真のように、鉄橋は朝鮮戦争中の1950年11月8日に米軍の爆撃により破壊されたままになっており、現在は「鴨緑江断橋」と呼ばれている。その隣の鉄橋は1943(昭和18)年5月、複線の鉄橋が建設され、今日では「中朝友誼橋」と呼ばれ、中朝貿易の大動脈となっている。上の写真は鴨緑江の中央部から新義州方面を望んだもので、下は鴨緑江河岸にある公園に立つ

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第9回] 満洲パルチザン派とソ連派が開設した「平壌学院」

 

元山港桟橋に停泊する「三池淵号」

朝鮮解放から遅れること1カ月、1945年9月19日、ソ連の軍艦「プガチョフ号」に乗ってきた金日成たちが密かに上陸したのは、北朝鮮における日本海側の窓口ともいうべき元山港だった。元山港と新潟西港との間では、不定期ながら貨客船の航路が開設され、初代の「万景峰号」が就航したのは1971年5月のことだった。続いて1979年には2代目の貨客船「三池淵号」が就航し、3代目の「万景峰92号」は1992年6月に日本に初入港したが、2006年7月の北朝鮮によるミサイル連射実験に対する制裁によって、現在は日本への入港は禁止されている。写真は、元山港桟橋に停泊する「三池淵号」で、1987年10月に著者が撮影したものである

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第8回] 「金日成将軍歓迎大会」にすり替えられたソ連軍歓迎市民大会

 

1945年10月14日開催の「ソ連解放軍歓迎平壌市民大会」

1945年10月14日、平壌の公設運動場(現在の金日成競技場)で開催された「ソ連解放軍歓迎平壌市民大会」は、現在、北朝鮮では「金日成将軍歓迎大会」と呼ばれている。金日成は、8月28日にソ連軍から授与された「赤旗勲章」を背広の胸に飾り、登壇したが、伝説的英雄であるキム・イルソン将軍を名乗るには、あまりにも若過ぎて「偽者だ」と騒がれる結果となった。上掲写真の金日成の右手背後は、ソ連占領軍(第25軍) 総司令官イワン・チスチャコフ上級大将、その右が民政管理総局の「政治司令官」とも呼ばれたアンドレイ・ロマネンコ少将、右端が第25軍政治委員のニコライ・レベジェフ少将、背後に並んでいるのは太極旗(現在の韓国国旗)である。下の写真のレベジェフ少将の右側には、北朝鮮側を代表して出席した5道人民委員会協議会の★晩植委員長の姿がある

★は恵の心が日

  

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第7回] 「与えられた解放」による「上からの革命」

 

ソ連極東軍第25軍の政治委員だったニコライ・レベジェフ少将のサムネール画像

北朝鮮を占領したソ連極東軍第25軍の政治委員だったニコライ・レベジェフ少将は、北朝鮮においては第25軍総司令官イワン・チスチャコフ上級大将に次ぐ権力者だった。政治委員は部隊における政治教育と政治工作を任務としていたが、当時44歳のレベジェフ少将は第25軍の「政治司令官」として、北朝鮮の占領統治に大きな影響力を発揮した。1948年12月にソ連に帰国したレベジェフ退役少将は、その後ソ朝親善協会の副会長として、1962年から85年までに5回ほど北朝鮮を訪れており、1976年には『義務を果たして』という手記を出版している。写真はレベジェフ退役少将本人から、著者がインタビューした際にもらったものである

 

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第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第6回] 朝鮮解放から1年足らずで拉致を指令した金日成

 

改竄の実例「敗北した日帝侵略者の武装解除をする朝鮮人民革命軍の隊員」

本連載では北朝鮮の写真偽造、改竄の実例をいくつも紹介してきたが、上掲は1975年発行の写真集『不滅の革命伝統』のなかにある「敗北した日帝侵略者の武装解除をする朝鮮人民革命軍の隊員」という説明がある写真である。下の写真は、1991年3月8日に産経新聞が一面スクープで掲載したもので、「投降して小銃や軽機関銃をソ連側に引き渡す日本兵。傍らでソ連軍兵士が武器をチェックしている」となっている。2枚の写真は同一地点で撮影されたものであることは明らかで、上掲写真は、ソ連兵を存在しない朝鮮人民革命軍の隊員に修正し、歴史を改竄したものである

  

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第5回] 謀略機関を完全掌握し権力基盤を構築した金正日

 

旺載山を視察中の金正日

この写真は、金正日の最初の写真集『我らの指導者』に掲載されているもので、「1975年10月3日に旺載山を視察中の親愛なる指導者金正日同志」というキャプションがついている。中国との国境に近い旺載山革命史跡地は、その前年から建設されており、金正日は74年5月にも現場を訪れている。薄いサングラスをかけた34歳の金正日は、このとき対南工作機関を震撼させる大検閲を実施している最中でもあり、自信に満ちた態度であることがみてとれる。写真を見ると、金正日が発案した金日成バッジを全員が着用している

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第4回] 1975年までの対南工作を「零点」と酷評した金正日

 

金正日の写真考察

1975年当時の金正日の写真を点検してみると、撮影年月日が明確なショットのなかでは、上掲の写真がメガネをかけたもっとも古い写真で、75年6月23日に撮影されたものである。2段目の左は7月2日、2段目右のメガネをかけておらず、まだあどけなさが残る写真は9月25日の日付となっている。こうしてみると、金正日は1975年半ばからメガネをかけるようになったようになったが、当初は威厳を示すための伊達メガネだった可能性も考えられる

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第3回] 「唯一指導体系」で自分への絶対忠誠を要求した金正日

 

平壌市内南部の統一通り

北朝鮮は金日成の主体思想による南北統一を目指しているが、その方針は金日成が発表した「祖国統一3大原則」「高麗民主共和国建国案」そして「全民族大団結10大綱領」の3つにあるとされ、「3大憲章」と呼ばれている。平壌市内南部の統一通りには、2001年8月に完成した高さが35m、幅は「6.15南北共同宣言」にちなんだ6.15mの「祖国統一3大憲章記念塔」が聳えている

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第2回] 金正日の権力基盤として新設された秘密警察

 

「祝賀をおくる金正日書記」

1968年4月、金正日は北朝鮮では不朽の古典的名作といわれる『ピパダ(血の海)』の映画化を命じ、1969年末に映画は完成した。続いて、金正日は『血の海』を革命歌劇として、作り上げた。上掲写真は、北朝鮮の5大革命歌劇の1つである『血の海』の一場面。下は、1979年2月、『血の海』の500回記念公演がおこなわれ、「祝賀をおくる金正日書記」という説明がついた写真であるが、撮影月日は不明である

 

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