2008年2月アーカイブ
第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第20回] 北朝鮮の長い国名はロシア語案を誤訳したものである
上の写真は1949年3月5日、左端のクレムリン警備隊員(左端)に案内され、スターリンとの会議場に向かうため、雪のクレムリン内を進む北朝鮮政府代表団の一行。金日成(左から2人目)の右のメガネをかけているのが朴憲永副首相兼外相、その右奥が洪命憙副首相である。下の写真はクレムリン内にある帝政ロシア時代の元老院の建物で、ソ連時代には「閣僚会議館」と呼ばれ、歴代共産党書記長の執務室があったが、現在は大統領府となっている。スターリンと金日成の会談は、この建物内でおこなわれた(写真は1980年に著者が撮影)
第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第19回] 民族保衛省と内務省に対南工作部署が確立される
1948年9月に成立した朝鮮民主主義人民共和国の第1次内閣全員の顔ぶれが揃っている貴重な写真である。前列左から鄭準沢(国家計画委員会委員長)、金策(副首相兼産業相)、洪命憙(副首相)、金日成(首相)、朴憲永(副首相兼外相)、崔庸健(民族保衛相兼朝鮮人民軍総司令官)、紅一点の許貞淑(文化宣伝相)、中列左から李炳南(保健相)、金元鳳(国家検閲相)、白南雲(教育相)、朱寧河(交通相)、張時雨(商業相)、崔昌益(財政相)、朴一禹(内務相)、後列左から朴文圭(農林相)、李克魯(無任所相)、李▼(都市経営相)、金廷柱(逓信相)、李承×(司法相)、許成沢(労働相)。これらの人物は、その後、金日成に粛清されて姿を消し、金日成を除けば政治生命を全うしたのは19人中、洪命憙と崔庸健の2人だけだった ▼は傭のニンベンがカネヘン
第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第18回] 正規軍は「北朝鮮人民軍」ではなく「朝鮮人民軍」と命名
一番上の写真は、1977年に発行された写真集『偉大なる愛の道』に掲載された「内閣首相に推戴される敬愛する首領キム・イルソン主席」、真ん中の写真は1995年に発行された『栄光の50年』に掲載された「内閣首相に推戴された偉大な領袖金日成同志」、下の写真は、1948年9月8日に最高人民会議第1回会議で撮影された上2枚の偽造される前のオリジナル写真である(韓国・中央日報社『秘録・朝鮮民主主義人民共和国』上巻400頁)。金日成の左隣の椅子に座っているメガネをかけた人物が朴憲永で、金日成と朴憲永の間に頭を下げた人物(上の2枚の写真では黒く塗り潰されている)がソ連派の許哥而、朴憲永の左の椅子に座っている細面の人物が金策である。真ん中の写真は朴憲永の顔に金策を貼り付けて改竄したと思われるが、一番上の偽造された写真については、金日成の左隣を誰にしようとしたのか判断できない
第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第17回] 2つあった対南工作員を養成する専門教育機関
この写真は1950年3月20日付の米ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されもので、写真のキャプションによると、37人の同志とともに捕虜になった女性ゲリラだという。右腕を負傷しているものの、松島政治学院(金剛学院)か江東政治学院で教育訓練を受けたためか、捕虜となっても毅然とした態度でいるようにみえる。背後の軍人は、米軍の特殊部隊の隊員ではないかと推定される。キャプションには、捕われた女性ゲリラたちは全員が「その後、ゲリラの頭目たちの首を手にした写真を撮らされた」と書かれている(ハリデイ/カミング共著『朝鮮戦争』より転載)
第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第16回] 朝鮮人民軍の原型が整ったのは解放から2年後だった
上の写真は1980年に発行された写真集『平壌』で紹介されている万景台革命学院で、下は1985年に発行された写真集『平壌』に掲載された万景台革命学院である。万景台革命学院は1947年10月12日、平壌の兄弟山区域間里に設立されたが、平壌の万景台区域に上掲写真の校舎を新築し、設立から1年後の1948年10月12日に移転した。写真を比べてみると、上の写真には金日成像がないことから、万景台革命学院の正面に金日成像が建立されたのは1980年以降と推定され、前庭が1985年までに整備さたことがわかる。万景台革命学院の生徒たちは赤いストライプが入ったズボンが特徴であり、その制服制帽は北朝鮮の子供たちの憧れである
第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第15回] 1947年2月、金日成が北朝鮮人民委員会の委員長に就任
1946年8月の「北朝鮮労働党創立大会」の後、党委員長には金日成ではなく、朝鮮新民党の委員長だった金△奉が選出されたが、この写真はその年の冬に撮影されたと推定される。写真の前列右手から、金策(平壌学院院長、パルチザン派)、イグナチェフ大佐、金△奉(委員長・政治委員、延安派)、レベジェフ少将、金日成(副委員長・政治委員)、許哥而(政治委員、ソ連派)、後列は右から2人のソ連軍人の氏名は不明だが、中央のメガネをかけているのが朱寧河(副委員長・政治委員、国内派)、軍服姿の朴一禹(保安局長、延安派)、崔昌益(政治委員、延安派)という北朝鮮労働党の最高幹部が並んでいる。この写真は著者がレベジェフ少将から直接入手したものである
第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第14回] ソ連占領軍が描いたシナリオで動いた金日成
1946年8月28日から30日まで、北朝鮮共産党と朝鮮新民党が合同する「北朝鮮労働党」の創立大会が開催された。上掲写真は、右からソ連占領軍政治委員のレベジェフ少将、朝鮮新民党の金△奉委員長、中央が金日成であり、背後にスターリンと金日成の肖像画があるのが印象的である。左の2人は未確認ながら、女性は「北朝鮮女性同盟(後の朝鮮民主女性同盟)」の朴正愛委員長、その左はソ連占領軍民政司令部の政治局長であるイグナチェフ大佐と推測される。下の写真は、34歳の金日成が北朝鮮臨時人民委員会の委員長として演説しているショットだが、背景の横断幕には「創立大会万歳!」の文字が読み切れる
第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第13回] 金日成を北朝鮮の指導者に決めたスターリン
上の写真は、ソ連時代に空撮されたクレムリンの全景である。当時は真上からの写真公開は厳禁されていたが、ロシア時代になってからは真上から撮影した写真も公開されるようになった。城壁で囲まれたクレムリン内部はソ連時代から観光客でも一部を見学できたが、スターリンの執務室がある建物などには近づけなかった。2006年8月、モスクワを訪れた私は、クレムリンの北東にあるイズマイロフ公園近くのスターリンの秘密地下壕を訪れ、スターリンの執務室で椅子に座って記念撮影をすることができた。イズマイロフ公園近くにはヴェルニサーシュ(土産物店)やルイノク(自由市場)があり、大勢の観光客で賑わっているが、ロシア人を含めスターリンの秘密地下壕の存在を知る人はほとんどいない


