2008年3月アーカイブ

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第31回] 朝鮮戦争参戦を決断した毛沢東

 

最高司令部旧址の革命史跡がある「高山鎮」

1993年に平壌で発行された『卓越的領導光輝的勝利』(中国語版)には、朝鮮戦争当時に朝鮮人民軍最高司令部が置かれ、現在は「高山鎮革命史跡地」となっている写真を掲載した。最高司令部旧址の革命史跡がある「高山鎮」は、平壌市大城区域高山洞と推定されるが、詳細は不明である。民家にカムフラージュした建物は地下壕の入り口で、人民軍最高司令部は右手奥の山の地下にあったと思われる

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第30回] 韓国から拉致した李升基博士は北朝鮮の"核開発の父"となった

 

左の写真は李升基博士、右は李学文

北朝鮮の最高人民会議常任委員会は、朝鮮戦争を開始した直後の1950年6月30日、北朝鮮で最高の栄誉である「共和国英雄」の称号を制定した。「共和国英雄」の称号を受けた者は、同時に最高勲章である「国旗勲章第1級」と金メダルおよび表彰状が授与される。また、朝鮮戦争中の1951年7月17日、経済、文化、建設などの分野において特別な功績をあげた者にたいする「労働英雄」の称号が制定された。左の写真は、石油を原料とするナイロンに対して、石灰石を原料とする合成繊維であるビナロンを発明した李升基博士で、彼はビナロン工場を完成させた後「労働英雄」を授与された。右は李升基博士をソウルから拉致した人民軍偵察局の「共和国二重英雄」である李学文

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第29回] 朝鮮戦争当時に大量拉致された韓国人の実態の分析

 

「ソウル市民転出事業に関する協調事項について」という秘密指示書

韓国の「韓国戦争拉致事件資料院」(KWARI、李美一院長)が発掘した1950年9月5日付の、江原道(元山)内務部長名義の「ソウル市民転出事業に関する協調事項について」という秘密指示書(江原内第3440号文書)のコピー

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第28回] 金日成の戦争目的のひとつは50万人の韓国人大量拉致だった

 

軍事委員会の第18号決定書のロシア語翻訳

1950年7月17日付で発行された朝鮮民主主義人民共和国軍事委員会の第18号決定書のロシア語翻訳のコピー

 

 3月20日、日本ハムファイターズが待ち望んでいたプロ野球・パシフィックリーグの開幕戦が行われた。今年は昨シーズンのパシフィック覇者、日本ハムの本拠地、札幌ドームでの開催。

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第27回] 開戦初日に部隊間の通信が途絶した朝鮮人民軍

 

戦況の推移

本連載では朝鮮戦争の戦況を詳述する余裕はないため、戦争については拙著『朝鮮謀略戦争の読み方』(光文社、1988)に掲載した図版の転載を参照していただきたい

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第26回] 職業軍人でないにもかかわらず前線司令官を務めた金策副首相

 

米軍撮影の「38度線で捕らえた北朝鮮の女性ゲリラ」

米軍が1950年6月22日に撮影した「38度線で捕らえた北朝鮮の女性ゲリラ」とする写真。米軍の説明によれば、「幼児を背負った女性を含む女性ゲリラが北朝鮮軍の侵攻数日前に38度線付近で韓国軍兵士によって捕らえられ、捕虜収容所に拘禁された」というが、女性たちがゲリラだったという証拠については言及していない。ただ、女性たちの毅然とした表情や歩いている姿を見ると、避難民とは思えないのは事実である(ハリデイ/カミングス共著『朝鮮戦争』より転載)

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第25回] 開戦準備が進むなかで展開された「平和的統一」の欺瞞工作

 

ジューコフ元帥が参謀総長時代に使用した執務室

第2次大戦後、ソ連軍は極東方面軍に代えて、ザバイカル・アムール軍管区(ハバロフスク)、沿海軍管区(ウスリースク)、極東軍管区(ユージノサハリンスク)を設置し、1947年5月、3つの軍管区を統制する「極東総司令部」を創設した。1950年2月、軍事省が陸軍省と海軍省に分割され、陸軍相には軍事相のアレクサンドル・ヴァシレフスキイ元帥が横滑りで任命された。1950年当時のソ連軍参謀総長はセルゲイ・シュテメンコ上級大将、極東総司令官はロジオン・マリノフスキイ元帥、北朝鮮を担当する沿海軍管区司令官はセルゲイ・ビリューゾフ上級大将だった。第2次大戦中のソ連軍の英雄、ゲオルギイ・ジューコフ元帥は、スターリンからその人気を疎まれ、戦後はオデッサやウラルの軍管区司令官に左遷され、北朝鮮建国や朝鮮戦争と無縁の立場だったが、1953年にスターリンが死去すると中央に復帰し、1955年に国防相に就任した。写真は、モスクワの参謀本部内に保存されているジューコフ元帥が参謀総長時代に使用した執務室で、壁にスターリン(正面)とレーニン(右手)の写真が飾られていた(2006年に著者が撮影)

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第24回] 米軍介入を恐れる発言で停職処分となった崔庸健民族保衛相

 

左の写真は左端が崔庸健、右は革命烈士廟にて

1900年6月22日生まれの崔庸健の革命歴は、金日成よりもはるかに古く、1920年代にすでに朝鮮共産党(火曜派)満洲総局の軍事部長を務めており、1936年に中共抗日連軍が「路軍制」に改編されると、第2路軍参謀長となった。当時は崔石泉の変名で活躍しており、ソ連の第88特別旅団時代は、崔庸健が副参謀長、金日成は第1大隊長で、金日成の上司だった。崔庸健の写真を探したみたが、ほとんど見当たらず、わずかに左上の写真のなかで、左端に立っている崔庸健を見つけた。これは北朝鮮においてソ連製機関短銃PPsh41の初の国産化に成功した際の記念写真で、左から崔庸健、金策、金一、金日成、姜健が並んでいる(1948年12月12日に撮影)。崔庸健は幾度も野の粛清の嵐のなかを生き抜き、1976年9月19日に天寿を全うして、平壌郊外にある革命烈士廟の最上級区画に葬られた(右写真、著者撮影)

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第23回] ソ連軍の支援を受けて10個師団に拡充された朝鮮人民軍

 

上:テレンティイ・シュトゥイコフ大使と金日成、中・下:栄誉礼を受ける金日成

1950年の金日成のモスクワ訪問は、ソ連軍が用意した飛行機による訪問だったが、前年2月の建国初の訪問は鉄道によるものだった。3枚の写真は1949年のソ連訪問時のもので、一番上は、2月22日、平壌を出発する政府代表団を見送りに来た平壌駐在のテレンティイ・シュトゥイコフ大使と談笑する金日成。左端は副首相兼外相の朴憲永、その右隣が最高人民会議議長の許憲、右端は国家元首に相当する最高人民会議常任委員会委員長の金△奉。真ん中の写真は、3月4日、モスクワに到着後、儀仗兵による栄誉礼を受ける金日成(横顔)。その右のヒゲの人物がアナスタス・ミコヤン副首相、その右の制帽をかぶっているのがグロムイコ第1外務次官、その右のメガネの人物が朴憲永、右端が洪命憙副首相である。下の写真は、帰国の途に着く前、モスクワのヤロスラフスキイ駅前で栄誉礼を受ける金日成(右端)。その左の敬礼している人物はニコライ・ブルガーニン首相代理(中央)。 △はキヘンに斗

 

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