2008年5月アーカイブ

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第51回] 南朝鮮総局の傘下に入った党連絡部、党文化部、党調査部

 

金日正

この2枚の写真は、1977年に発行された写真集『偉大な愛の道』に掲載されているものである。上は1957年8月25日に「南朝鮮出身の青年学生とともにいる」金日成という説明があり、下は1960年9月22日に「南朝鮮出身の人たちを勉強させるために建てた松島政治経済大学を訪れ、学生たちの食生活に気を配る」金日成となっている。本文には「開城市にある松島政治経済大学では、米帝国主義の植民地政策に反対してたたかい、また祖国解放戦争では復讐の武器を手にとって、義勇軍に参加してたたかった南半部の青年学生が学んでいます」とあり、1957年8月25日は第1期の卒業式がおこなわれたという。松島大学は南出身の工作員を養成する機関であることが知られており、上の写真を見ると、金日成の右上の中央の人物など数人には差し替えられた痕跡がある。松島大学については、本連載第11回、17回、38回を参照

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第50回] 1961年9月の第4回党大会以後に誕生した南朝鮮総局

 

金日成と少女の写真

上の写真は1958年12月21日、南浦遺児学院を訪れた際に撮影されたものだが、女子生徒は金日成に手を握られるのを嫌がっているように思われる。下は1960年4月29日に撮影されたもので、次のような説明が付いている。「その日はちょうど、チェ・ヨンオクが新しい制服を来て3日目でした。<略>父なる元帥は、ベンチで新聞を読みながら、生徒たちが来るのを待っていました。生徒たちは、父なる元帥に駆け寄り、姿勢を正して少年団の敬礼をしました」。こうした写真やエピソードは、北朝鮮では毎年春に夏服、秋には冬服が、金日成の名前で支給されているというプロパガンダのためであるが、金日成と少女の写真はセクハラ現場のようにも受け取れる

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第49回] 「赤化統一」を未然に防いだ朴正煕少将の5・16軍事クーデター

 

デモをおこなう市民たち

1960年の「4・19学生革命」により、李承晩政権(第1共和国)は崩壊した。その後に成立した張勉政権(第2共和国)は北朝鮮の地下工作員が仕掛けた学生や市民による南北統一への動きを阻止することができず、そうした状況を危惧した朴正煕少将たちの陸軍士官学校8期生が中心となって、軍事クーデターが敢行された。上の写真は、「民族自主統一」と書かれた横断幕を先頭にデモをおこなう市民たち。下の写真の横断幕には、「行こう!北へ! 来たれ!南へ! 板門店で!」というソウル大学民族統一連盟のスローガンが書かれている。いずれもの写真も、1995年に平壌で発行された『栄光の50年』より転載

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第48回] 南派工作員が関与していた4・19学生革命の始まり

 

ホー・チミンと会談する金日成(下)

上の写真は、1977年に発行された金日成の写真集『偉大な愛の道』に掲載されているもので、「1958年8月6日、2月26日工場の労働者を訪れ、彼らをより大きな労働の偉勲へと励ます父なる首領」という意味不明の日本語キャプションが付いている。下の写真は、1958年11月に北ベトナム(当時)を訪問し、ホー・チミン主席と会談する46歳の金日成で、1982年発行の金日成の写真集『親善と団結のために』に掲載されている。これらの写真は、首領独裁制を完成させた以後の1950年代後半に金日成が自信にあふれた態度でいたことを示している。ちなみに「2月26日工場」は、慈江道煕川市にある精密機械工場で、ピストン、燃料ポンプ、歯車ポンプ、燃料分配器、運搬車、車両用計器など、兵器用の精密機械部品を製造する工場として知られている

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第47回] 北朝鮮に拉致された後に粛清された「入北者」たち

 

金日成総合大学

1946年10月1日に開校した北朝鮮初の総合大学は、当初は「北朝鮮大学」と呼ばれていた。共産主義諸国でも、独裁者の名前を冠した「スターリン大学」や「毛沢東大学」は存在しないにもかかわらず、北朝鮮ではその後「金日成総合大学」と改名された。現在、15学部と8つの研究所、博士院と準博士院があり、教員は1200人余りで関連職員は2800人以上、学生は1万6000人いるといわれている。写真は北朝鮮の宣伝パンフレットで紹介されている金日成総合大学だが、上掲写真の右手の建物が大学本部で、最初に建てられた校舎である

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第46回] 1950年代後半に対南工作を担当した3大機関の実態

 

人民軍のなかでもエリートである偵察局の偵察員発行年が明記されていない朝鮮人民軍出版社が発行した写真集『英雄的朝鮮人民軍』のなかには軍服にネットをまとって枯れ葉や草でカムフラージュしている兵士と、迷彩服を着ている兵士が紹介されている。迷彩服を着ているのは人民軍のなかでもエリートである偵察局の偵察員であるが、下の写真のように数種類の迷彩服が配給されている

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第45回] 粛清を繰り返して完成させた金日成の「首領独裁制」

 

人民大学習堂と金日成広場

上の写真は、平壌市内を流れる大同江の左岸に聳える主体思想塔の展望台から見た対岸の人民大学習堂と金日成広場である(1987年10月に著者が撮影)。下は1990年10月に発行された『平壌祭典』という写真集に掲載された人民大学習堂だが、背後の建物の角度などが上の写真と少し違うのは、空撮だからである。この写真をよく見ると、人民大学習堂の左右奥にある緑地帯の色や質感は左右で異なり、左側には修正された跡がある。上の写真と見比べてみると、下の写真の修正された部分には、白い建物があることが分かる。この白い4階建ての建物は、検閲によって塗り潰されたため、公開してはならない重要部署だったことを物語っていたが、最近になって、この建物は朝鮮労働党組織指導部の庁舎であることが判明した。「党の中の党」とも呼ばれるほど党組織指導部は絶大な権力を握っており、検閲官はその権力を恐れて修正したのだろうが、逆に馬脚を現わす結果となっている

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第44回] 金日成に対する個人崇拝を史上初めて公然と批判した尹公欽

 

金日成

1956年4月の第3回党大会の後、金日成は政府代表団を率いて、6月1日から7月19日までの長期にわたって、ソ連、東独、ルーマニア、ハンガリー、チェコスロヴァキア、ブルガリア、アルバニア、ポーランド、モンゴルを歴訪した。代表団の随員は、朴正愛党副委員長、南日外相、李鍾玉国家計画委員長、崔賢民族保衛省副相などの他、朝鮮民主党と天道教青友党の副委員長、そして2人の「労働英雄」がいた。上の写真は、7月6日から12日までのソ連訪問の際の写真で、金日成の右はニコライ・ブルガーニン首相である。下の写真は、帰国する直前に3日間滞在したモンゴルでの歓迎風景。当時はモンゴル人民革命党のユムジャギン・ツェデンバル第1書記が、独裁者として権力をふるい、スターリン批判に倣って首相だったチョイバルサン批判をしていたが、写真にはツェデンバルは写っていないようである

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第43回] 国家情報委員会と内閣情報総局は実在していたのか

 

「主体思想塔」

1955年12月28日、金日成は党宣伝煽動部の活動家を前に「思想事業で教条主義と形式主義を一掃し、主体性を確立するために」という演説をおこない、そのなかで初めて「主体(チュチェ)」について具体的に語った。金日成生誕70周年にあたる1982年、大同江左岸(東平壌)に高さ150mの石塔の上にさらに20mの赤い狼煙を付けた「主体思想塔」が建設された。塔の前後には、一辺が4.2mの「チュ」「チェ」という金文字が刻まれている。左上の写真は、平壌中心部(本平壌)にある人民大学習堂から見た金日成広場と大同江、そして川向こうに主体思想塔が聳えている。左上と下の写真は、近くから見た主体思想塔である(いずれも著者撮影)

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第42回] 朝鮮総連の誕生直後に工作員に包摂された在日朝鮮人

 

平壌の凱旋門(上)

平壌を訪れる場合、一般的には平壌の北にある順安空港に着いて、車で市内に向かって南下する。市内に入って訪問者がまず眼にするのが、巨大な凱旋門である(上の写真)。幅50m、高さ60mで、「パリの凱旋門より10mも高いのです」と現地のガイドは無意味な自慢をする。左右の柱には「1925」と「1945」の数字があり、金日成が革命を始めた年と凱旋帰国した年と説明されているが、これは史実に即さない虚偽表示であり、凱旋門自体が捏造された建造物と言う他はない。凱旋門を通り過ぎると、1956年の党中央委員会12月総会で決議された「千里馬運動」のシンボルが見えて来る(左下の写真)。高さ46mの千里馬銅像は、1961年に金日成の49歳の誕生日に除幕された。そして、直ぐに巨大な金日成の銅像が木々の上に姿を現わす(右下の写真)。金日成の還暦を祝って金正日が1972年に建設した金日成像は、台座と合わせて高さ23mだが、万寿台の丘の上に立てられているため、遠方からもよく見える(いずれも著者が撮影)

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