第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第61回] 寺越武志さんをかばって抵抗し射殺された寺越昭二さん
無責任な嶋崎報告書『再会』によれば、1968年3月29日、寺越外雄さんが兄の誕生日祝いをしようと酒を買ってきて、寺越昭二さんと一緒に飲んだ。そして、翌日、つまり昭二さんの誕生日(3月30日)の朝、昭二さんは、ベッドから落ちて死んだことになっている。しかし、昭二さんの誕生日は3月31日であり、本人が1968年まで生きていたのだとすると、誕生日を間違えるはずはない。1990年8月、寺越友枝さんは娘の正枝さん(武志さんの妹)とともに北朝鮮を再訪した際、外雄さんから昭二さんの遺骨代わりの砂をあずかって帰国し、昭二さんの遺族に砂袋を手渡している。2002年10月3日、寺越武志さんが39年ぶりに日本の土を踏んだが、拉致被害者の寺越武志ではなく、平壌市職業総同盟副委員長の金英浩としての来日だった(上 写真提供:共同通信)。そして、武志さんが北朝鮮に帰国してから2週間ほどして、妹の正枝さんが北朝鮮を訪問し、昭二さんの墓石の写真を撮ってきた。その墓(下の写真)には、誕生日(1927年3月30日)と死亡日(1968年3月30日)が赤い文字で書かれていたが、昭二さんの長男である寺越昭男さんたちは、この墓は射殺し遺体を海に投棄した事実を隠蔽する工作であると主張し、北朝鮮で死んだのであれば遺骨を返還するよう北朝鮮に要求している

