2008年6月アーカイブ

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第61回] 寺越武志さんをかばって抵抗し射殺された寺越昭二さん

 

上の写真は金英浩、下は寺越昭二さんの墓石

無責任な嶋崎報告書『再会』によれば、1968年3月29日、寺越外雄さんが兄の誕生日祝いをしようと酒を買ってきて、寺越昭二さんと一緒に飲んだ。そして、翌日、つまり昭二さんの誕生日(3月30日)の朝、昭二さんは、ベッドから落ちて死んだことになっている。しかし、昭二さんの誕生日は3月31日であり、本人が1968年まで生きていたのだとすると、誕生日を間違えるはずはない。1990年8月、寺越友枝さんは娘の正枝さん(武志さんの妹)とともに北朝鮮を再訪した際、外雄さんから昭二さんの遺骨代わりの砂をあずかって帰国し、昭二さんの遺族に砂袋を手渡している。2002年10月3日、寺越武志さんが39年ぶりに日本の土を踏んだが、拉致被害者の寺越武志ではなく、平壌市職業総同盟副委員長の金英浩としての来日だった(上 写真提供:共同通信)。そして、武志さんが北朝鮮に帰国してから2週間ほどして、妹の正枝さんが北朝鮮を訪問し、昭二さんの墓石の写真を撮ってきた。その墓(下の写真)には、誕生日(1927年3月30日)と死亡日(1968年3月30日)が赤い文字で書かれていたが、昭二さんの長男である寺越昭男さんたちは、この墓は射殺し遺体を海に投棄した事実を隠蔽する工作であると主張し、北朝鮮で死んだのであれば遺骨を返還するよう北朝鮮に要求している

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第60回] 寺越事件の犯人は清津連絡所のベテラン戦闘員だった呉求鎬

 

上の写真は清津市、下はその一部の拡大

上は、2006年8月30日に撮影された北朝鮮北部の清津市を「グーグルアース」が公開している衛星写真である。その一部を拡大したのが下の写真で、党作戦部清津連絡所を俯瞰したものである。党作戦部清津連絡所の詳細については、サピオ誌(2004年6月23日号)に拙稿「脱北者の告白『北朝鮮「拉致工作船」の秘密指令』」において既に発表している。安明進氏は2冊目の手記のなかで、「1990年頃の清津連絡所の規模は、工作員〔正確には戦闘員〕が約100名いて、それぞれが4名からなる『組』に所属していた。つまり同連絡所にはそうした組が25組、さらにその『組』を8~10組ずつ束ねた組織単位として『方向』というものが3つあった」(『新証言・拉致』139頁)と記している

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第59回] 寺越事件の家族を訪朝時に迎えたのは工作機関の党連絡部日本課長

 

上:衝突によって破損した「清丸」、下は左から寺越昭二さん、寺越外雄さん、寺越武志さん

1963年5月12日午前8時半頃、漁に出ていた漁船「竜神丸」が、志賀町上野海岸の沖合7キロほどのところを無人で漂流していた「清丸」を発見し、高浜港に曳航した。「清丸」の船首左舷が衝突によって破損していることが、上の写真でよく分かる。操業中に大型船舶に衝突された海難事故と考えられ、大捜索が続けられたが、何の手掛かりも得られなかったのは、今にしてみれば当然のことだった。下は、左から寺越昭二さん(当時36歳)、弟の寺越外雄さん(当時24歳)、甥の中学生だった寺越武志さん(当時13歳)。写真はいずれも寺越友枝著『北朝鮮にいる息子よ、わが胸に帰れ』より転載

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第58回] 工作員のゴムボート使用とピストル武装が初めて確認された能代事件

 

左上:浅内浜に漂着した死体、左下:死体の偽造運転免許証、右下:死体が所持していた略図

左上は、1963年4月1日の「第1次能代事件」で、秋田県能代市の浅内浜に漂着した死体A(30歳前後)の写真。右上は、死体Aが所持していたソ連製拳銃トカレフと実弾8発が入っていた弾倉、そして革ケース。左下は、死体Aが所持していた大阪府公安委員会発行の「金成浩」名義の偽造運転免許証、右下は、死体Aが所持していた能代市付近の略図で、道、川、駅、村、高山などが記入されており、スパイ道具の秘密埋設地点を示していると思われる。私が調べたところによると、図中の駅は国鉄五能線の「東八森」駅で、高山というのは「薬師山(312m)」、図中の手前の山は「母谷山(276m)」、川は「水沢川」のように思われる(写真はいずれも内外政治研究所編『スパイの世界』より転載)

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第57回] 潜入工作員が密航者だと警察に偽装自首する手法も登場

 

上:工作子船を検分する捜査員、左下:ソ連製無線機、右下:1963年3月に発見された無線機

1962年9月の「解放号事件」では、工作母船から海岸に向かう子船には木造の伝馬船が使われていた。北朝鮮による日本への潜入方式は、工作母船、工作子船、そしてゴムボートという3段階方式が一般的だが、ゴムボートがなかった当時は、母船と子船の2段階方式だったと思われる。上の写真は、解放号事件で押収した工作子船(伝馬船)を検分する新潟県警の捜査員(『戦後のスパイ事件』59頁より転載)。左下の写真は、1952年12月の「三橋事件」と呼ばれるソ連のスパイ事件で押収されたソ連製無線機で、1955年6月の「第3次朝鮮スパイ事件」や1963年5月の「酒田事件」で同型の無線機が押収されている。右下は、1963年3月の「五十川事案」で発見された無線機で、写真左側の金属箱が樹木の根本に埋設されていた(2点の写真は警察庁警備局編『スパイの実態』より転載)

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第56回] 北朝鮮から届いた写真の人物は加瀬テル子さんだった

 

左上、右上、左下:加瀬テル子さん、中段は鑑定の一部、右下:加瀬テル子さんの夫

左上は1962年4月に失踪した当時の加瀬テル子さん(当時17歳)、右上は撮影年月日は不明だが、2004年1月までに北朝鮮で撮影され、TBSが入手した写真。中段は、2004年10月17日、TBSが報道番組「ニュースの森」で放映した東京歯科大学の橋本正次助教授による鑑定の一部で、「2枚の写真は同一人物と見てほぼ差し支えない」という鑑定結果となっている。下段はフジテレビが入手した写真で、左下が加瀬テル子さん、右下は1975年頃に拉致された日本人で、加瀬テル子さんの夫といわれている

 

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第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第55回] 社会安全省と人民軍偵察局の対南工作活動も強化された

 

平安南道寧辺付近の衛星写真(左)と地図

左は、1989年9月19日にフランスの地球観測衛星SPOTが撮影した平安南道寧辺付近の衛星写真で、この写真によって北朝鮮の核疑惑が噴出したのだった。右はその写真に対応する日本の旧陸軍参謀本部陸地測量部が朝鮮統治時代に作製した5万分の1図に、私が日本で初めて寧辺の核施設を紹介したもので、1992年4月9日号のサピオ誌(小学館)に掲載したものである。寧辺で研究用原子炉の建設が始まったのは1962年1月のことであり、時期から推定すると社会安全省第15局が設置した工作員養成所というのは、核開発センターの警備のためだった可能性が高い。「南朝鮮総局が開設して統制下に置いた清津、寧越〔寧辺の誤記と推定〕各工作員学校」(『北朝鮮特殊部隊』72頁)という記述のなかの「寧辺工作員学校」というのは、同一施設か労働党独自の警備施設ではないかと思われる。

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第54回] 対南工作機関は「対南事業総局」と改称されて規模を拡大

   金正日政治軍事大学の地図

この地図は1995年4月27日号のサピオ誌(小学館)で、私が初めて発表した金正日政治軍事大学の全容を示す地図である。初めて元戦闘案内員である安明進氏とインタビューしたのは、1994年4月のことだったが、当時は脱北者という用語は存在せず、帰順者あるいは亡命者と呼ばれていた。私は安明進情報や他の亡命者情報を集め、「平壌のマル秘地図」として、金正日政治軍事大学の存在を明らかにしたが、図中では大学の名称は「軍事」が抜けた「金正日政治大学」となっていたり、大学の分校を「中央党訓練所」としていたり、中央党訓練所のBは正確には「双鷹(サンメ)」であるが「上海(サンメ)」と誤記しているなど、未熟な情報となっている。現在では衛星写真で建物のすべてを分析することができるが、この地図を作成した当時は、平壌の正確な地図も存在していなかったのである

女性6人をレイプ、8人から約70万円を強取した起訴事実を認める。

 

アパート.jpg

写真・中澤被告祐介被告が住んでいた札幌市白石区のアパート

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第53回] 戦前に日本で生活した経験者を対日工作員として徴用

 

日朝間を往復する帰国船

左上は、1959年12月14日、北朝鮮がソ連からチャーターした「クリリオン号」と「トボリスク号」の2隻が、在日朝鮮人帰国者第1陣957人を乗せて新潟を出港する際の光景。右上は、12月16日に氷点下10度の清津港に第1次帰国船が入港した際の歓迎風景。下の写真は、祖国に帰還した在日朝鮮人帰国者(日本帰還民)を歓迎する平壌での市民集会。背景の建物は平壌駅である。日朝間を往復する帰国船は、北朝鮮から朝鮮総連

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