2008年8月アーカイブ

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第82回] 日本に密航して大学院修了後にスパイとなった韓国人

 

万寿台議事堂と韓国の国会議事堂

上は、平壌中心部に建つ「万寿台議事堂」と呼ばれる北朝鮮の国会議事堂で、1984年10月に完成した。正面上部中央には北朝鮮の国章が飾られている。内部には2000席の大会議場のほか、小会議場や会議室、調印式場などがある。写真は1987年に筆者が撮影。下は、ソウルの汝矣島の西端にある韓国の国会議事堂で、1975年に完成した。ビルの上部にある青いドームが特徴である。写真に警官や機動隊員が写っているのは、2004年3月の盧武鉉大統領の弾劾問題で政治的に緊迫していたときに筆者が撮影したからであり、通常は機動隊員は立っていない。敷地内には国会図書館や議員会館があるが、北朝鮮の対南工作がこの議員会館まで及んでいることは、今も昔も変わらない

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第81回] 対南工作の失敗を口実に軍部強硬派を粛清した金日成

 

韓国人観光客の上陸地点となる高城

1969年当時、党連絡部連絡課が管轄する6つ連絡所の他に、西海岸と東海岸の2カ所に工作員訓練所が置かれていた。日本海に面して軍事境界線に近い江原道高城は、長箭湾のなかにある天然の良港であり、海上処の連絡所が党作戦部に引き継がれた後、元山連絡所は、名称はそのままで高城訓練所に移転した。2枚の写真は、筆者が1991年8月に高城の長箭湾を通った際に撮影したものであるが、上掲写真の湾の向こうに見える2つの小高い山の裏手に、党作戦部元山連絡所があることが衛星写真で確認できる。韓国から海路による金剛山観光が始まって以降、高城は韓国人観光客の上陸地点となり、湾の東側に専用埠頭が建設された。2008年7月11日、韓国人女性観光客が射殺された現場は、上掲写真の砂浜の右手(写真外)である

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第80回] 日本人戸籍を入手し「背乗り」して真正旅券を不正に取得

 

朝鮮中央会館

1955年に結成された朝鮮総連の中央本部は、東京都千代田区富士見町にある。上掲写真は写真集『栄光の50年』より転載した朝鮮中央会館(本部ビル)。中央本部の敷地は2390平方メートルで、地上10階、地下2階の本部ビルを合わせると、その不動産価値は40億円を超えると推定されている。朝鮮総連は法人格のない「権利能力なき社団」のため、中央本部の不動登記ができず、土地・建物の登記簿上の所有者は「合資会社朝鮮中央会館管理会」となっている

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第79回] 体をゴムボートに縛りつけられて工作船から投げ出された工作員

 

工作員の無線機

左上は、1969年の「岩崎・能代事件」で、工作員の金邦鎮の自白によって、秋田県能代市の砂山の「ドゥボーク」に隠されていた無線機(諜報事件研究会編『戦後のスパイ事件』より転載)。右上は、1968年6月23日、茅ヶ崎の海岸近くにあるホテルの駐車場の片隅から掘り出された無線装置。この無線装置は初めて発見された最新式の「小型高速自動通信機」である。テレックスを携帯用に小型化したもので、1分間に750字から2500字を送信できる真空管式だった。ソ連製と推定されたが、誰が埋設したのかは不明のままである。左下は北朝鮮製の無線機で、右下はソ連製の無線機であるが、どのスパイ事件で押収されたのかは不明である。左上以外の写真は、警察庁警備局編『スパイの実態』より転載

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第78回] 朝鮮総連の活動家も工作員教育のため工作船で北朝鮮に

 

尹孝同が教員をしていた東京朝鮮第1初中級学校

1977年にKCIAに自首した尹孝同は、朝鮮総連の活動家になる以前は、東京都荒川区東日暮里にある「東京朝鮮第1初中級学校」で教員をしていた。東京朝鮮第1初中級学校は、終戦直後の1945年12月に設立された朝連荒川支部の「国語講習所」を前身とし、1947年5月に台東区と北区の朝連学園を統合して「東京第1朝連初等学園」となり、朝鮮総連が結成される直前の1955年4月、「東京朝鮮第1初級学校」と改称した。1959年4月、中級部が併設されて、現在の名称になり、1968年9月には幼稚班も併設された。写真は東京朝鮮第1初中級学校のホームページから転載したもので、ホームページによれば、教育の目的は「地域同胞社会の交流の中で確固たる民族意識を持ち、民族の繁栄に貢献できる人材、日本と世界の国々を深く理解し、友好と親善に役立つ人材を育てること」となっている

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第77回] 在日朝鮮人の大学生も工作船で北朝鮮に渡っていた

 

1967年のソウル

3枚の写真は、1967年夏に著者が初めて韓国を訪れたとき、著者が撮影したものである。上段は、市内の歩道橋から撮影したものだが、当時のソウルは「道路は広いのに車は少ない」というのが私の印象だった。中段は、ソウルの繁華街「明洞」の一角で、左には「シンジン・タクシー」と呼んでいたタクシーがのんびりと駐車している。下段は、街角で見かけた市民会館での集会を呼びかけるポスターで、「1945年8月6日、世紀初の原爆広島に投下、原爆投下22周年行事講演会、中共の原水爆実験を3千万国民は糾弾する」などと書かれており、主催者は「大韓原爆防護研究院」となっていた。当時はまだ、日本と同様に漢字が多用されており、ハングルを知らない日本人でも新聞の記事内容をある程度は理解することができた時代だった 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第76回] 1度の浸透では朝鮮戦争以来最大規模の蔚珍・三陟侵入事件

 

金日成

上段は、1982年に発行された金日成の写真集『親善と団結のために』に掲載されている写真で、「タンザニア連合共和国のニエレレ大統領とともに黄海製鉄所を視察する金日成主席(1968年6月)」という説明がある。中段は、1968年8月9日、平安北道大館郡の大館ウサギ牧場を現地指導する金日成だが、眼鏡をかけている。その2週間後の8月23日に日本共産党の宮本顕治書記長が訪朝して会談したときに金日成は、ニエレレ大統領のときと同様眼鏡はかけていない。撮影年月日が確認できる1968年の写真は12点あるが、国内で現地指導をしている8点はいずれも眼鏡をかけており、当時の金日成は外国からの賓客とあうときなどには、カメラを意識して眼鏡を外していることが分かる

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第75回] 金日成に工作員として高く評価された統一革命党の金鐘泰

 

左上は金鍾泰、右上は崔英道、下は「金鍾泰電気機関車工場」で現地指導する金日成

左上は、金日成に工作員として高く評価された金鍾泰。右上は、金鍾泰を協力工作員に引き込んだ統革党全羅南道委員長の崔英道。下の写真は、処刑された金鍾泰に因んで「金鍾泰電気機関車工場」と改名された平壌の工場を現地指導する金日成(撮影年月不明)。統革党ソウル市委員長の金鐘泰や崔英道らが逮捕されても、韓国内の下部組織は健在だとして、金日成は統革党の再建を命じた。摘発事件から1年後の1969年8月、北朝鮮は『労働新聞』や平壌放送を通じて、韓国内に「統一革命党中央委員会」が創設されたと発表し、北朝鮮南部の黄海南道海州市から、「統一革命党の声」という謀略放送を流すようになった。1970年代になると、北朝鮮は逮捕された南派工作員を、スパイではなく統革党の党員だと宣伝した。「統一革命党の声」放送は、1985年から「救国の声」と名称変更したが、南北頂上会談後の2003年8月1日に放送は停止され、今日に至っている。党連絡部の元工作員の金用珪氏によれば、北朝鮮は、1994年に工作員を派遣して、金鍾泰の妻や遺族の消息や所在を確認していたという

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第74回] 瀕死の韓国人捕虜の前で自白を強要されたプエブロ号の艦長

 

上段はプエブロ号、中段は元山港に上陸した直後、下段は北朝鮮海軍のSO1級駆潜艇の模型

上段は、元山港に連行されたプエブロ号。船体の「GER2」は「ゼネラル・エンヴァイロメント・リサーチ(環境調査艦)2号」の略であるが、2本のマストには様々な電子機器が設置されており、情報収集艦であることを示している。プエブロ号は50口径機関銃を2門搭載していたが、駆潜艇から砲撃されても秘密文書廃棄などの作業を優先し、反撃することはなかった。中段は、プエブロ号艦長のロイド・ブッチャー中佐を先頭に、乗組員83名(うち1人死亡)が、元山港に上陸した直後の写真である。乗組員たちは身柄を拘束されて厳しい取り調べを受け、解放されたのは11カ月後のことだった。下段は、平壌の朝鮮革命博物館に展示されている模型で、プエブロ号を拿捕した北朝鮮海軍のSO1級駆潜艇(SC-35)である

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第73回] 兵装転換に手間取りプエブロ号救出に間に合わなかったF4ファントム

 

上の二つは毎日新聞のスクラップ記事、左下は連行される金新朝少尉、右下は金新朝牧師

上掲の新聞のスクラップは、私個人の古いファイルをコピーしたもので、左が青瓦台襲撃未遂事件の続報を伝える1月23日付、右がプエブロ号拿捕事件を報じた翌24日付の毎日新聞である。23日付の紙面にある写真は、金新朝少尉が捕らえられたときのものだが、まだ氏名などは不明で、「ソウル侵入の際捕らえられた北朝鮮スパイ団の1人」という説明となっている。左下は、捕らえられた金新朝少尉(当時26歳)が取り調べのために連行されるときの様子だが、着ていたコートは証拠品として没収され、写真のコートは警察から支給されたものと考えられる(ソウル新聞より転載)、右下は、今年で40周年となる「1.21事態」についてインタビューを受ける金新朝牧師(2008年1月21日付中央日報)

 

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