2008年9月アーカイブ

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第92回] 韓国中央情報部(KCIA)を模倣した国家政治保衛部の誕生

 

1977年発行の金日成の写真集『偉大な愛の道』に掲載されている写真

2枚の写真は1977年発行の金日成の写真集『偉大な愛の道』に掲載されているもので、上は「三つ児の兄妹を愛の懐に抱く父なる首領(1972年4月)」、下は「リュクテ水産協同組合の管理委員長に、組合の発展方向と新しい漁労方法を教える敬愛する首領キム・イルソン主席(1972年6月17日)」という説明が付いている。上は、金日成の還暦を祝って全国女性同盟の芸術サークルが、4月13日に公演した歌劇に出演した三つ子とともに写真に収まる金日成であるが、私が調べた限りでは、眼鏡なしの金日成の最後の写真であり、これ以降、金日成は写真撮影において眼鏡を外すことはなくなった

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第91回] 佐渡島宿根木の岩陰で工作員の潜入を待ち構えていた捜査員たち

 

上の写真は小木町宿根木の海岸、下の写真は新谷岬付近の岩場の洞窟

佐渡島の南端、小木町宿根木の海岸は上の写真のように岩場が広がり、いたるところに小さな洞窟(海蝕洞)がある。こうした地形を利用して、北朝鮮の工作員たちは、1960年代初めから、宿根木を工作船の着岸ポイントにしていた。1972年3月13日、工作員が宿根木から潜入するという情報を得た警視庁外事2課は、新潟県警の捜査員たちとともに海岸の岩陰に潜んで、工作船が侵入してくるのを待ち構えていた。しかし、情報が漏れたためか工作船は現われず、捜査員たちが付近を捜索した結果、新谷岬付近の岩場の洞窟(下の写真)に潜んでいた不審な人物を発見し、逮捕した。所持品検査から在日工作員であることが明らかだったが、外国人登録法違反の容疑しか適用できず、工作員は2日後に起訴猶予で釈放された。写真はいずれも筆者が「北朝鮮による拉致被害者の救出にとりくむ法律家の会」が主催した現地調査に参加して、2004年5月9日に撮影したものである

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第90回] 高速で逃げ去る際に爆発音に似た巨大な音を出す工作船

 

独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第90回

上の2枚は、1971年12月30日に失踪した園田一さん(53歳)と妻の敏子さん(43歳)。鹿児島県曽於郡大崎町に住んでいた園田夫妻は、正月に帰省する次女を迎えに宮崎空港へ行く途中、ガソリンスタンドに寄ったのを最後に、消息を絶った。園田さんは都城市へ寄って、国道269号線を走って行くと言っていたが、失踪後、大規模な捜索がおこなわれたものの、車も発見されず、今日に至るまで何の手掛かりもない。特定失踪者問題調査会は北朝鮮に拉致された疑いが強いとして、1000番台リストに入れている。下の2枚は、1970年8月8日に失踪した加藤久美子さん(22歳)の角度の異なるスナップ。記憶力抜群の元北朝鮮工作員(戦闘員)である安明進氏は、1988年から1990年にかけて、加藤久美子さんが金正日政治軍事大学内で横田めぐみさんとともに対日工作員の日本語教官をしていた、と証言している(第88回参照)

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第89回] 偵察局の工作員養成機関であることが明らかになった第198軍部隊

 

シルミド部隊

1971年8月23日、韓国で脱走兵たちによるバス・ジャック事件が起こった。北朝鮮の人民軍偵察局の第124軍部隊に対抗して創設された韓国軍「中央遊撃司令部648特攻隊」は、基幹要員(指導員)と訓練兵(工作員)の31人で構成されていた(第75回参照)。実尾島(シルミド)で秘密訓練を受けていたため「シルミド部隊」と呼ばれる特殊部隊は、金日成主席宮に侵入して金日成を暗殺することを目的に、1968年4月1日に創設された。訓練兵たちは1年以上におよぶ過酷な訓練に耐え、1969年10月上旬に念願の北派命令が下ったが、直後に中止となった。目標を失い、待遇も悪化していく中で、不満を募らせた訓練兵たち23人は、大統領に直訴するため武装して実尾島を脱出したが、目的を果たせず自爆した。左上は、舞衣島から見た実尾島の全景。右上は、シルミド部隊の訓練基地全景。中段は、シルミド部隊の訓練兵たちで、左端の骸骨の下には「我らの信条」と書かれている。下段は、脱出した訓練兵たちが仁川でバスを強奪し、ソウルに向かう途中で警官隊に阻止された後に自爆し、19人が死亡した際の遺体検分の状況。左のマイクを向けられているのは、青瓦台事件の生き残りの金新朝元少尉。警官隊との衝突で生き残った訓練兵4人は軍事法廷で死刑を宣告され、1972年3月10日に処刑された。写真はファン・サンギュ著『実尾島』、イ・スグァン著『シルミド』より転載

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第88回] 潜入工作員と出迎える在日工作員がトランシーバーで連絡

 

金正日政治軍事大学周辺

平壌市内北部の龍城区域には市民の立ち入りが禁止されている広大な統制地域が各所にあり、そのなかに工作員教育・訓練施設(第956軍部隊)などがある。金正日が3号庁舎(工作関連機関)の実権を握った1976年以前は「中央党政治学校」として知られ、招待所が散在するだけの小さな規模だったが、1976年以降に拡大・拡充され、金星政治軍事大学(現在の金正日政治軍事大学)の本校や工作員専用の915病院などが建設され、山中に点在する招待所は「中央党訓練所区域」とされた。後に中央党訓練所区域は大学の分校となったが、1992年からは党調査部と党連絡部の工作員を養成する「烽火大学」として独立した。龍城の市街地の東側にも広大な統制地域があるが、ここは「55号官邸」と呼ばれ、金正日一家が住んでいる

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第87回] 北朝鮮に拿捕された韓国漁船の乗組員を工作員として教育

 

上は中央党政治学校の招待所までのルート、下は講堂が散在する地点

金在根氏は手記のなかで、1970年当時の中央党政治学校について次のように書いている。「龍城煙草工場の左脇を通り、国防科学院の前から舗装されていない道路をしばらく走ると、また舗装道路に出て500メートルほど進んだ。そこには遮断機があって検問をしていた。それが『中央党政治学校』の正門だった。検問所を通り抜け車窓から眺めると、山に鉄条網が張り巡らされてあり、もう少し奥へ入ると、南朝鮮博物館の建物が見えた。<略>車はさらに奥へと進み、目の前に講堂が現れた。周辺の林の中に家が見え隠れした。学校担当指導員が、車から下りるわれわれを1号招待所というところへ連れていった。<略>1組が4人ずつで、講堂1つを4部屋で使用するので学生数は16人、そしてそのような講堂が20余りあったようだ。そこは老人、美しい娘、17〜18歳の少女、中央党が召還した者、韓国から拉致された船員などを教育するための場所で、およそ300名ほどのスパイを養成できるようになっていた」。上は、グーグルアースの衛星写真で金在根手記から特定した中央党政治学校の招待所までのルート。下は講堂が散在する地点(北緯39度10分27.36秒、東経125度48分03.76秒)の拡大写真

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第86回] 1969年11月の会議で日本人拉致の必要性を述べた金日成

 

崔スンチョルが成りすました小住健蔵さん名義の旅券と免許証

「西新井事件」で逮捕された金仁錫は、崔スンチョルについて、「北朝鮮でスパイ訓練を受けていたころ、朴と10数回面会した。このとき朴は、北朝鮮の指導員やそこにいた者たちから『朴先生』『朴先生』と呼ばれており、また、会話の状況からも位の高い扱いをされていたので、部長クラスの偉い人と思った」と供述し、崔スンチョルという名前であることは知らなかった。金仁錫が北朝鮮でスパイ訓練を受けていたとき、崔スンチョルは「小熊和也」として活動していたが、小熊和也さんが病死した後は、上掲写真の「小住健蔵」名義の旅券と免許証を取得して、小住健蔵さんに成りすました。ゴム製造会社で出会った内縁の妻は、「松田」「小熊」「小住」と次々と名前を変える夫に不安を感じ、「籍を入れて欲しい」と懇願したが、崔スンチョルは「自分を信用してくれ、必ず幸せにするから」と言って、600万円を出させている。崔スンチョルはそのカネを元に、1982年、東京都内に資本金500万円の装飾品製造販売会社「信栄エンタープライズ」を設立して社長となり、経営は金仁錫と彼の妻に任せて、会社の利益を工作資金に回していた

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第85回] 1960年代末の特定失踪者は6人全員が10代後半の青年

 

上段は拉致された疑いが濃厚な4人、下段左2枚は1969年の特定失踪者、右下の2枚は脱北者の提供

上段は、1968年に北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な特定失踪者4人で、左から、美容師の屋木しのぶさん(19歳)、高校3年生の水島慎一さん(18歳)、高校3年生の斉藤裕さん(18歳)、高校2年生の国井えり子さん(17歳)。下段左2枚は、1969年の特定失踪者(1000番台リスト)の2人で、高校3年生の今井裕さん(18歳)と高校2年生の大屋敷正行さん(16歳)。屋木さんと水島さんは富山で、斉藤さんと国井さんは北海道から、それぞれ数週間の差で消息不明になっている。右下の2枚のカラーは、2005年に脱北者から提供された写真で、左は、1975年頃に拉致された日本人男性で、1962年に行方不明となった特定失踪者の加瀬テル子さんの夫といわれている(第56回参照)。右の女性は脱北者の説明によると、「この女性は日本人で、平壌の鞍山招待所で賓客の接待する仕事をしていた」という。特定失踪者問題調査会の調べなどで、2枚のカラー写真の背景の壁が同じであることが判明し、この女性は国井えり子さん(上の白黒写真)ではないかと見られている

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第84回] 煙草のチェリーの箱のなかの1本から発見された小さな乱数表

 

金一東の上陸地点と乱数票、アジト

左上は、金一東が潜入した青森県西津軽郡の岩崎海岸の上陸地点。右上は、チェリーの煙草のなかから発見された乱数表。下は、潜入後にアジトとしていた大阪市城東区のアパート(写真はいずれも警察庁警備局編『スパイの実態』より転載)。金一東が逮捕されてから12日後の1974年1月3日午前零時、平壌放送の女性アナウンサーが「1336号、1336号...」と金一東のコード番号を告げ、続いて、5桁の数字を読み上げた。放送を聞いていた愛知県警の捜査官たちは、押収した乱数表と暗号表で指令を解読した。その結果、「接線できなかった事情を報告せよ。新年にあたり事業の成果と健闘を祈る」と解読され、北朝鮮の党連絡部は東ドイツに姿を現さなかった事情を把握していないことが判明した。金一東の場合、毎月3日と4日の午前零時に、平壌放送で指令が届いていたという。公安当局は、スパイを逮捕しても直ぐには公表せず、北朝鮮から届く暗号指令を解読するなどして、北朝鮮の工作目的を探るという熾烈な諜報戦を日夜展開しているのである

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第83回] 工作員教育の一環として1970年代初めまでに取り入れられた海外研修

 

北総事件

左上は、1974年6月に摘発された「北総事件」あるいは「三村事件」と呼ばれるスパイ事件で、逮捕された孔泳淳が設立した偽装会社である「北総建設」の建物。右上は、潜入工作員に協力した在日朝鮮人(土台人)に対して、北朝鮮から与えられる感謝状。中段は、「豊島事件」で逮捕された申栄萬が、無線機などを入れたポリバケツを民家のコンクリートの床下に埋設していたのを、捜査員たちが発見した際の証拠写真。下段は、申栄萬が北朝鮮から携行した高性能無線機。申栄萬は指導員から、平常時に使用するのは危険なので、将来の有事の際に通常の通信手段で連絡ができなくなったとき、本国からの指令で使用するようになるまでは、安全な場所に埋設しておくように、と指示されていた。そのため、申栄萬は無線機や暗号資料などをブリキ缶に詰めて、ハンダで完全密封してポリバケツに入れ、埋設していたのだった

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