2008年10月アーカイブ

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第102回] 日本人化教育の教官獲得のため拉致を定式化させた金正日

 

「以南化環境館」および周辺

金正日の特別指示により1985年2月11日に開館した「以南化環境館」は、平壌・龍城区域の金正日政治軍事大学構内の山中の地下にある(位置関係については第88回の衛星写真参照のこと)。グーグルアースの衛星写真で調べてみると、「南朝鮮革命博物館」の東寄り(写真の)に、以南化環境館の入口(北緯39度9分53.31秒、東経125度47分28.66秒)があった。以南化環境館について、元北朝鮮工作員(戦闘員)の安明進氏は手記のなかで、次のように書いている。「韓国の実情を教え込む教育会館〔以南化環境館〕は龍城区域新美里10号棟という場所にあったのだが、それはまさに巨大な一つの韓国社会だった。この教育会館は、またの名を「環境会館」とも言われていた。龍城区域の山の地下に10キロ以上もトンネルを掘って、そこに作られた巨大なセット<略>。そこは本当に華やかな宮殿のようだった。<略>その教育会館は長さ10キロ以上、幅30~40メートル、高さ4メートルにもなる巨大な洞窟で、中には韓国の街並みがそのまま再現されていたのである。<略>韓国にあるものはほとんどそろっており、韓国社会そのものと言ってもよかった。警察署から小学校、中学校はもちろん銀行、スーパー、高級ホテル、ひいては退廃的な歓楽街までそのまま再現されていた。そこで学生の韓国人化教育に携わっている人々は、私が接してきた限りでも80名以上はいたと思うが、彼らはほとんどが韓国人化教育のために拉致されてきた韓国の人々だった」(『北朝鮮拉致工作員』43~45頁)

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第101回] 工作員の証言で新たに判明した日本人拉致被害者

 

上段:「朝鮮人民軍芸劇場」、中段:劇場の内部、下段:夜はネオンが輝いていた頃の外観

党連絡部の工作員だった金東赫氏(仮名)は、平壌曲芸劇場で日本人工作員を目撃したと証言した。「拉致した人を、その人の性質だとかIQ、臨機応変さ、大胆さ、沈着さ、決断力、特殊工作員として持たなければならない典型的な気質があるのかどうかを全部調査する過程で、この人は特殊工作員としての気質があるとされたときは、工作員として選抜するのです。そのときから、専門的な訓練に入ります。1975年8月ならば、調査が一端終わった段階だから、まだ、工作員として使うか、何に使うか分からないが、そのときは、よい待遇をしてやって心の安定をさせる。そういう段階です」と、金東赫氏は語っている。工作員の生活は優遇され、工作員専用の映画館や病院などがあるが、サーカス劇場は専用のものはなかったため、日本人を偶然に目撃することになったのだった。上は、正式には「朝鮮人民軍芸劇場」と呼ばれるサーカス劇場の外観。中段はサーカス劇場の内部で、観覧席は1640席、中央には直径14メートルの円形舞台があり、その上で空中ブランコやアクロバットがおこなわれる。下は、まだ経済困窮が表面化していなかった1970年代、ネオンが輝いていた夜のサーカス劇場の外観

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第100回] 在日韓国人を包摂し大統領狙撃犯に仕立て上げた朝鮮総連

 

上段左:朴正熙大統領と夫人、上段右:大統領と長女、中段:狙撃直後、下段左右:文世光  2000年5月、朴正熙大統領の長女である朴槿恵議員は、北朝鮮を訪れ金正日と会談した。その席で金正日は28年前の「文世光事件」について、朴槿恵議員に対し「あなたの母親に申し訳ないことをした」と北朝鮮の関与を認めた上で、謝罪したが、「部下がやったことで、自分は知らなかった」と釈明した。上段左は、朴正熙大統領と夫人の陸英修女史(撮影年不明)。上段右は、朴正熙大統領と長女の朴槿恵女史(撮影年不明)。中段は、米CBSソウル支局のカメラクルーが撮影した陸英修大統領夫人が狙撃された瞬間で、壇上でピストルを構えているのは大統領警護室の朴鐘圭室長。陸英修夫人は被弾後、直ちにソウル大学付属病院に搬送され、5時間40分にも及ぶ手術がおこなわれたにもかかわらず、午後7時に帰らぬひととなった、享年49歳だった。下段左は公判に向かう文世光。下段右は公判中の眼鏡をかけた文世光

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第99回] 遠隔操作で朴正煕大統領を爆殺する装置を新たに開発

 

上の写真は顕忠門と顕忠塔、下は慶会樓

韓国の国立墓地である「国立顕忠院」は1955年に設立された。表門を入ると、顕忠門と聳え立つ顕忠塔が望まれる。顕忠塔には朝鮮戦争で戦死し、遺体が見つかっていない10万3千余の位牌が安置されている。1970年6月22日、北朝鮮の党連絡部の工作員は、朴正煕大統領を暗殺するため、顕忠門に爆弾を仕掛けようとして、操作を誤り爆死した。上は、「Life in Korea」(http://www.lifeinkorea.com/cgi-bin/travel2j.cfm?TravelID=335)から転載した顕忠門と顕忠塔である。下は「ソウル市観光公式サイト」(http://japanese.visitseoul.net/visit2008jp/index.html)から転載、李朝時代の王宮である景福宮のなかにある池に浮かぶ慶会樓。慶会樓は韓国の国宝に指定されており、国家の慶祝行事の際に祝宴を開くために作られた楼閣である。1974年8月15日の光復節に、朴正煕大統領ら政府要人が出席する祝賀レセプションが予定されており、党連絡部の工作員は爆薬80キロを仕掛けて、遠隔操作で爆破させる手はずを整えていた。しかし、党連絡部も把握していなかった大統領狙撃事件が起こり、慶会樓爆破作戦は幻に終わったのだった

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第98回] 李厚洛KCIA前情報部長の拉致を命じた金日成

 

上の写真は李厚洛(左)を上機嫌で出迎える金日成、下は在日朝鮮人芸術団の公演を観覧した時のもの

1972年5月2日、韓国の李厚洛KCIA部長は鄭洪鎭局長、秘書、医師の4人で、極秘裡に平壌を訪れた。5月4日午前0時過ぎ、李厚洛は休んでいるところを起こされて、金日成の執務室に案内された。上の写真は、李厚洛(左)を上機嫌で出迎える金日成で、2人の間には、金日成の弟で当時は後継者と目されていた党組織指導部の金英柱部長の姿がみえる。金日成は深夜の会談で、李厚洛に対し「青瓦台事件は朴正煕大統領に大変すまない事件でした。あれは左傾分子がしでかしたことで、私は知りませんでした。関係者は撤職(罷免)され、今は別の仕事をしています」と語ったという。それから2年後、金日成は李厚洛の拉致を命じているのである。下の写真は、金日成が李厚洛の拉致を命じた年の6月27日に撮影されたもので、「父なる首領は、祖国を訪問した在日朝鮮人芸術団の芸術家たちに革命歌劇『金剛山の歌』を習えるよう大きな配慮をめぐらし、それを短期間に習得した彼らの公演を親しく観覧した」という説明がついている。その2カ月後に、朝鮮総連が包摂した在日韓国人による朴正煕大統領も暗殺未遂事件が起こったのだった
 

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第97回] 訪日韓国人が多数包摂されていた「鬱陵島拠点間諜団事件」

 

左上:大澤孝司さん、右上:焼肉店「あらい」、左下:聞き取りの様子、右下:大澤さんが座った場所

北朝鮮による拉致などの人権侵害に対して、日本の弁護士有志が集まり、2003年3月に「北朝鮮による拉致被害者の救出にとりくむ法律家の会」が結成された。「法律家の会」は特定失踪者問題調査会と連携して、特定失踪者の拉致認定のための行政訴訟や刑事告発などの活動を精力的に展開する一方、失踪現場の現地調査なども実施している。新潟県の佐渡島の10町村が合併して佐渡市となった2004年、「法律家の会」は、5月8日と9日に新潟と佐渡で現地調査をおこない、筆者も含め28人が参加した。現地調査では、横田めぐみさん、曽我ひとみさんが拉致された跡をたどるとともに、大澤孝司さんが失踪した現場、失踪直前に夕食をとった焼肉店などを訪れて、関係者から取材した。左上は、1974年2月24日、佐渡の新穂村から失踪した27歳当時の大澤孝司さん。右上は、失踪直前に夕食を食べた焼肉店「あらい」の外観。左下は、「あらい」の女主人から聞き取りをしている場面で、左端は大澤孝司さんの兄である大澤昭一さん、中央で筆記しているのは山本へるみ現・港区議会議員(救う会監事)。右下は、焼肉店「あらい」のカウンターで、大澤さんが座っていたのは一番奥の椅子だったという。大澤さんの顔写真以外は、筆者が撮影

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第96回] 渡辺秀子さん殺害と子供2人の拉致を指示した女性工作員

 

上段、中段、下段左:高大基・渡辺秀子夫妻と子どもたち、下段右:洪寿恵

左上は、高大基・渡辺秀子夫妻の貴重なショット(撮影年月不明)。右上は渡辺秀子さん。中段は北朝鮮に拉致された長女の敬美ちゃん(左)と剛くん(中央)。中段右は、敬美ちゃんと剛くんの姉弟が遊んでいるスナップ写真。下段左は、敬美ちゃんを抱く渡辺秀子さん。北朝鮮の在日工作員だった夫の高大基は、本国に召還される前に、渡辺さんに1200万円の小切手を渡して、「北海道に家を建てて親子3人で暮らすように」と告げたという。1973年6月に高大基は突然姿を消したため、渡辺秀子さんが夫の消息を尋ね歩くことによって、工作活動が明るみになることを恐れた洪寿恵(下段右の顔写真。その後結婚し木村陽子として日本国籍を取得)は、渡辺母子3人を北朝鮮に送ろうとしたが失敗した。その直後、洪寿恵は独断で渡辺秀子さんを殺害し、1974年6月に渡辺さんの子供2人を北朝鮮に拉致した。洪寿恵は「遺体は橋の上から投げ捨てた」と平然と語るような女だったという。20047年4月12日、 警察庁は敬美・剛の姉弟を「北朝鮮による拉致被害者と断定した」と正式発表した。しかし、姉弟は朝鮮籍のため、日本国民であることが要件となる拉致被害者支援法に基づく「被害者」の認定基準には該当せず、拉致被害者と認定されてはいない

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第95回] 工作員専用の915病院で目撃された日本人拉致被害者

 

915病院の全景

朝鮮労働党作戦部の管轄下にある「915病院」は、3号庁舎の専用病院である。写真は、グーグルアースの衛星写真でみる915病院の全景で、小泉首相が訪朝した際、病院の右(東)側の道路を車で往復している。915病院は、訓練などで負傷したり病気になった工作員、戦闘員、案内員、そして教官を治療、入院させるところで、家族の場合は配偶者の治療・入院は認められているものの、子供は特別のケース以外は認められていないという。大韓航空機爆破テロの実行犯で党調査部の工作員だった金賢姫は、1977年に肩のBCG接種の跡の整形手術ため、915病院に入院したことがあると手記に書いている。金賢姫によれば、彼女の日本人化教育の教官である李恩恵(拉致被害者の田口八重子さん)も、腰痛のため半月ほど入院していたという。横田めぐみさんは、「朝鮮語を覚えれば、お母さんのところに帰してやる」と言われ、一生懸命に勉強したが、18歳になったとき、それが叶わぬ夢と分かり精神的に破綻して、病院に収容された。その病院に入院していた工作員が脱北して、韓国安全企画部の係官に少女の情報を伝えたことから、めぐみさんが北朝鮮に拉致されていることが判明した。その工作員やめぐみさんが入院していたのは、915病院と考えられる

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第94回] 船外機付きゴムボートの侵入が初めて確認された「温海事件」

 

左上:男が身を隠していたテント、右上:隠されていた船外機とゴムボート、下:警察検分時

1973年8月3日、北朝鮮人3人が船外機付きのゴムボートで、山形県西田川郡(現・鶴岡市)温海町の海岸に潜入した。工作員たちは上陸すると、ゴムボートの空気を抜いてたたみ、船外機とともに岩陰に隠した。左上の写真は、警官に追われた男が、逃げ込んで身を隠していたテント。右上は、事件後に現場付近の捜索によって発見された、岩場に隠されていた船外機とゴムボート。下は、押収したゴムボートの検分のため、警察署でゴムボートに空気を入れて膨らませ船外機を取り付けた写真。「日本人から怪しまれやすい被告人らの服装、被告人崔しか日本語を話せないこと、日本の貨幣を持っていなかったことからみて、右目的は被告人らが自ら情報収集の諜報活動を行うというより、逮捕場所からそう遠くない場所において誰かと連絡をとり、短期間のうちに再び出国する予定だったのではないかと推定される」と判決文にあるように、彼らは潜入工作員ではなく工作船の案内員であり、在日工作員との「接線」に失敗して、うろうろしていたところを逮捕されたのだった

 

第3部 独裁者・金正日権力の源泉

第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化

[第93回] 人民軍偵察員から党調査部の工作員に移籍された辛光洙

 

上:「原敕晁」名義の運転免許証、左下:記念切手、右下:切手を拡大したもの

1980年6月20日、辛光洙は中華料理店コックの原敕晁さんを宮崎県の青島海岸に連れ出して、北朝鮮に拉致した。そして、1981年11月2日、辛光洙は「原敕晁」名義の運転免許証(上の写真)とパスポートを取得した。1985年2月24日、辛光洙は「原敕晁」名義のパスポートで、成田からソウルへ出国したが、韓国入国3日目の2月26日、辛光洙はホテルの部屋にいたところを、国家保安法違反容疑(スパイ活動)で逮捕された。1985年11月30日、一審のソウル地裁で死刑判決を受けた辛光洙は控訴、上告したが、いずれも棄却された。その後、無期懲役に減刑され、非転向長期囚として14年間投獄されていた間に金大中政権の恩赦によって、1999年12月に釈放された。2000年6月の南北頂上会談での合意を受け、9月に北朝鮮に送還され、朝鮮では「英雄」扱いされている。北朝鮮では非転向長期囚の記念切手(左下)も発行され、辛光洙も顔を連ねている(切手写真の4段目の右端)。右下は切手を拡大したもので、辛光洙は今年(2008年)9月9日の「共和国創建60周年慶祝閲兵式」にも、辛光洙が来賓として出席していたことが確認されている

 

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