独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第1部の最近のブログ記事

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第3章 1941年に生まれた金日成の子供

追記

 

ソ連における第88特別旅団の隊員たちと金日成

ソ連における第88特別旅団の隊員たちと金日成。金日成回顧録『世紀とともに』第8巻のグラビアに「朝鮮人民革命軍の隊員とともにある金日成同志(2列目の真ん中)」という説明がついて掲載されている写真で、第88特別旅団(東北抗日連軍教導旅団)における冬季軍装での記念撮影と推定されるが、詳細は不明である

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第3章 1941年に生まれた金日成の子供

遂に暴かれた金正日出生の秘密

 

金正日が誕生した南野営

金正日が誕生した南野営(原図制作・惠谷治、デザイン・鍵本博子)

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第3章 1941年に生まれた金日成の子供

中国における金日成研究の第一人者の証言

 

金正日と同年に誕生した周保中・王一知夫妻の娘

金正日と同年に誕生した周保中・王一知夫妻の娘。第88特別旅団(東北抗日連軍教導旅団)の旅団長である周保中少佐と王一知夫人の間には、1941年8月8日、長女の周偉(ロシア名はカリーナ)が誕生した。中国における金日成研究の第一人者といわれる朝鮮族の歴史家で、中国共産党黒龍江省党史研究室の金宇鐘室長は、周保中の長女と金正日は同年生まれと、私に明言した。この証言により、金正日が1941年生まれであることを、最終的に確認することができた。写真は、1943年の夏にハバロフスクで撮影された周保中・王一知与夫妻と長女の周偉である

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第3章 1941年に生まれた金日成の子供

1974年の「出生33周年祝賀電文発送運動」

 

1987年に完成した金正日が生まれたとさる丸太小屋

1987年に完成した金正日が生まれたとさる丸太小屋(著者撮影)。中朝国境に聳える白頭山南麓の小白水谷の林のなかに、金正日が生まれたとされる偽造の丸太小屋が建設されたのは1987年のことである。その完成を待つかのように、その年の秋から北朝鮮は一般観光客を受け入れるようになった。1987年10月、私は第1陣観光ツアーで北朝鮮を訪れ、白頭山を登った帰り道に、金正日の経歴偽造のために捏造された「創作小屋」を見学した。小屋の背後の山は、かつては長寿峰と呼ばれていたが、1988年8月、金正日に因んで「将軍峰」と改名され、頂上付近に名前が刻まれた岩が取り付けられた(写真左上参照)

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1941年2月に南野営で出産した金貞淑

 

背広にメガネの金日成とワンピース姿の金貞淑との合成写真

背広にメガネの金日成とワンピース姿の金貞淑との合成写真。ソ連に脱出後の金日成と金貞淑のツーショットは3葉あることが知られているが、左の写真は金日成がメガネをかけた珍しいショットである。とはいえ、このツーショットは腕の組み方や陰影などから合成されたものであることは明らかで、金貞淑はワンピースにバレエシューズのようなものを履いており、精一杯のおしゃれをして、室内で撮影されたものと思われる。右の写真は左の金日成が撮影されたのと同じときに、メガネをとって写ったものだろう。金日成がメガネをかけた写真は他にもう1葉あるが、金日成がメガネをかけている理由は伝えられていない

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金貞淑は「過期妊娠」で出産したのか

 

南野営で撮影されたと思われる抗日連軍の女性隊員たち

南野営で撮影されたと思われる抗日連軍の女性隊員たち(撮影年月不明)。左から、李英淑、金チョルホ(崔賢夫人)、金貞淑(金日成夫人)、黄順姫。『世紀とともに』第8巻に掲載された下の写真を見れば、どのような意図で写真が修正されたのかが分かるだろう

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弟の出産と混同したハバロフスク誕生説

 

ソ連極東軍と南北にあった抗日連軍野営地

ソ連極東軍と南北にあった抗日連軍野営地(原図製作・惠谷治、デザイン・鍵本博子)

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手記内容を訂正した"金正日の乳母"

 

北野営(ヴャツコエ村)の第88特別旅団の兵舎

北野営(ヴャツコエ村)の第88特別旅団の兵舎(著者撮影)。ハバロフスク北東70kmのヴャツコエ村に残る北野営(A野営) 跡を私が訪れたのは、1991年8月のソ連における「8月クーデター」を取材して帰り道の9月初旬だった。当時はハバロフスクから40km以上離れるときにはKGBの許可が必要だった時代だったが、私は許可なしで現地に入ったが、大きな問題にはならなかった。ヴャツコエ村には金日成を記憶している村人たちから話を聞き、かつては食糧庫だったという当時のまま残っていた建物などを見て回った。敷地内には名前を刻まれていない4人の墓碑もあった

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北野営に創設された「第88特別旅団」

 

北野営に創設された第88特別旅団の隊員たち

北野営に創設された第88特別旅団の隊員たち。1943年10月5日、北野営(A野営)での野外演習後に撮影された第88特別旅団(東北抗日聯軍教導旅団)の隊員たち。前列左から、副旅団長パターリン(巴大林)少佐、政治委員の李兆麟少佐、旅団長夫人で政治指導員の王一知、旅団長の周保中中佐、第1大隊長の金日成大尉、副旅団長のシャルマチェンコ(什林斯基)少佐。第2列は左端を除いて、張光迪(役職階級不明)、諜報部長の馮仲雲大尉、第2大隊長の王效明大尉、第2大隊長の王明貴大尉(許亨植の後任)、彭施魯(役職階級不明)。第3排左から、楊清海、徐哲、姜信泰、金光侠、隋長青。第4列左から、安吉、朴徳山、崔勇進、陶雨峰、金京石

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金日成が率いる第1支隊の満洲越境出撃

 

金日成の上司だった周保中(写真左)と魏拯民(右)

金日成の上司だった周保中(写真左)と魏拯民(右)。第2路軍総司令だった周保中(1917-1964年)は入ソ後に新たな編成された「東北抗日連軍総司令部」の総司令となり、金日成の上司となった。また、第1路軍において金日成の直属の上司で、満洲で病床にあった南満省委書兼副総司令の魏拯民(1909-1941年)は、不在にもかかわらず「東北抗日連軍総司令部」の政治委員に任命された。周保中は金日成が率いる第1支隊を魏拯民救出のために、1941年4月9日、満洲に潜入させた

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