独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第1部の最近のブログ記事

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

金貞淑とともにソ連に脱出した女性隊員

 

証言者・徐順玉さん

証言者・徐順玉さん(著者撮影)。金貞淑の戦友で4歳年下の徐順玉さんは、ソ連への逃避行の途上で、金日成と金貞淑の結婚式に立ち会った唯一の女性隊員である。(1993年の取材当時、72歳)

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

独断でソ連領への逃避行を開始

 

金日成たちによるソ連逃避行ルートの風景

金日成たちによるソ連逃避行ルートの風景(著者撮影)。金日成たちは安図縣から和龍縣、汪清縣を通り、琿春縣からソ満国境を超えてソ連領に入ったが、途中で白壁が特徴の朝鮮人の集落に立ち寄ったことだろう。写真は汪清縣で目撃した朝鮮族の家屋で、典型的な満洲の光景のひとつである

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

コミンテルンからの連絡という創作

 

工作隊がパルチザンを帰順させた際の記念写真

工作隊がパルチザンを帰順させた際の記念写真。野副討伐隊が作成した『3省治安粛正工作記念写真帳』にある討伐隊のスナップ。「討伐隊の猛烈果敢しかも執拗なる長追を勢子とすれば、工作隊はその網番とす。従って、両者の呼吸一致するとき帰順工作は進展する。写真は共匪岳団帰順時の撮影にして、討伐開始以来、帰順投降せるもの1100余名なり」というキャプションがある

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

捏造された金日成の魏拯民病気見舞い

 

平壌の金日成像と朝鮮革命博物館

平壌の金日成像と朝鮮革命博物館(著者撮影)。平壌の万寿台にある巨大な金日成像は1972年4月に建てられたが、その背後の朝鮮革命博物館も同時に開館した。解放直後は国立中央解放闘争博物館という名称だったが、金日成部隊の女性炊事隊員だった黄順姫が館長の朝鮮革命博物館に改称されてからは、偽造、捏造、剽窃された「革命伝統」が館内に散りばめられて展示されるようになった

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

小部隊活動に変更と告げた小哈爾巴嶺会議

 

中共東北抗日連軍のパルチザンたち

中共東北抗日連軍のパルチザンたち。野副討伐隊が作成した『3省治安粛正工作記念写真帳』には、「東北抗日第1路軍警衛旅の一部(匪勢猖獗を極めありし昭和十四年夏共匪の撮影せるもの)」というキャプションが付いている。討伐隊が捕虜にしたパルチザンの所持品のなかにあった写真と思われる

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

団(連隊)制をやめ「中隊制」に再編

 

遊撃根拠地を巡視する第1路軍の魏拯民副総司令

遊撃根拠地を巡視する第1路軍の魏拯民副総司令。野副討伐隊が作成した『3省治安粛正工作記念写真帳』に掲載された写真には、「幕舎を巡視する第1路軍幹部、魏拯民、徐哲(昭和十四年秋に共匪が撮影せるもの)」と書かれ、不鮮明ながらコートを着て脚絆を巻いて左に立っているのが魏拯民としている。香港で発行された写真集『中国抗日戦争図誌』には「抗日聯軍一部在樺甸的野営地」という説明がある。金日成回顧録『世紀とともに』第8巻のグラビアでは、左の魏拯民の姿をカットして、「万端の戦闘準備をととのえる朝鮮人民革命軍の隊員」としている

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

ポルノグラフィを散布した関東軍

 

パルチザン討伐のため投入された飛行機

パルチザン討伐のため投入された飛行機。野副討伐隊が作戦完了後の1941年3月に作成した『吉林・通化・間島3省治安粛正工作記念写真帳』には、治安工作に投入された複葉機の写真が掲載され、手書きのキャプションがあるが、左端の「山田飛行士」と1人おいて「北部参謀」の2人の名前しか判読できない。作戦の計画大綱を書いた北部邦雄中佐は情報参謀だったが、飛行服を着用しており、パルチザンの動静を空から自分の眼で確かめていたと思われる

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

満洲における金日成の最後の戦闘

 

金日成の最後の戦闘現場と周辺図

金日成の最後の戦闘現場と周辺図。日本人が経営していた伐採場は、現在の楊樹溝林場と推定(原図製作・惠谷治、デザイン・鍵本博子) 

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

地理的地帯を彷徨する金日成部隊

 

第1路軍総司令の楊靖宇と彼の遺体

第1路軍総司令の楊靖宇と彼の遺体。中国で公表されている楊靖宇の肖像画(左)と、1940年2月23日、通化省警務庁の討伐隊が射殺した直後の楊靖宇の遺体。中国共産党は楊靖宇が最期を遂げた通化省の濛江縣を靖宇縣と改名して、抗日烈士の功績を称えている

第1部 金正日の出生の秘密を暴く

第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

関東軍による治安粛正特別工作

 

旧関東軍司令部

旧関東軍司令部(著者撮影)。旧満洲国の首都、新京は、都市計画に基づいて造成された大都市で、官公庁は洋風の建物に和風の屋根を乗せた「帝冠様式」と呼ばれる建築様式で建設された。関東軍司令部はその典型例であり、現在も中共吉林省委員会の建物として使用されている

特集記事北海道のローカルニュースを発信する情報サイト

月別 アーカイブ